漂流遺体

 およねさんが行方不明になった翌月、岡山県備前市の湾沖で漂流遺体が発見された。

 その遺体は、両足にロープでブロックがくくりつけられた他殺体だった。遺体の発見場所を管轄する岡山県警が検視や司法解剖を担当したため詳細は不明だが、おそらく重しをつけて海に沈められた遺体が、体内に発生した腐敗ガスの浮力によって海面に浮かび上がってきたのだろう。拘束されていた手足が、腐敗してちぎれた可能性もある。

 溺死体は水に浸かっているため腐敗が早く、顔は大きなカボチャのように変形し、下腹部は腐敗ガスがたまって巨人化する。その過程で魚類や甲殻類、スナホリモドキなどの人食い虫に捕食されて、顔や身体の一部が損壊している場合も多い。

 溺死体の手足に「漂母皮形成」が見られるときは、取り扱いに慎重さが求められる。漂母皮形成とは、長時間、水(風呂やプールなど)に浸かっていたときに、手足の皮膚が白くふやけてしわしわな状態になることだ。以前、水中から陸へ運搬する際、溺死体の漂母皮化した手首を持って引き上げようとしたところ、手袋を脱がせるように表皮だけがすっぽりと抜けてしまい、真皮がむき出しになってしまったこともあった。

 また、まだ生きてる状態で水中に突き落とされれば、気道内に水が侵入するため鼻口部から血液混じりの泡沫が認められることもよくある。

 岡山で発見された漂流遺体の身元は、同年8月に判明した。遺体から採取したDNA型が、大阪府警に捜索願が出されていたおよねさんのものと同型だった。被害者が特定されると岡山県警と大阪府警の合同捜査本部が立ち上がり、すぐにふたりの不動産業者が死体遺棄容疑で逮捕された。

 ふたりはいずれも50代で、ひとりは兵庫県の自称・不動産会社社員の男。もうひとりは大阪市の不動産会社役員の男であった。およねさんの自宅は、前年の夏ごろに計画が立ちあがったマンションの建設予定地で、地上げの対象となった約20戸のうちの1戸だった。

 頑固者のおよねさんらしく、「住み慣れた家から引っ越したくない」と最後まで立ち退きを拒否していたが、同年4月下旬に約3500万円の立ち退き料で同意書に署名。同月末に家屋は取り壊されて更地になったが、その直後におよねさんが突然失踪してしまう。立ち退き料も支払われた形跡がなかった。

 逮捕されたふたりの男には多額の借金があり、およねさんの立ち退き料を自分たちの返済に当てるために彼女を殺害すると、遺体を布団袋に詰めてクルマに積み込み、岡山県邑久町の大橋から海に投げ捨てたという。

 およねさんの晩年は孤独だった。近所の住民からは厄介者として煙たがられ、実の娘もトラブルばかり起こす母親を遠ざけていたようだ。

 そんなおよねさんの唯一の話し相手となっていたのが、近所にあった警察署の署員たちだったのだろう。毎日のように顔を合わせていながら、私たちは彼女を犯罪被害から守ることができなかった——。

 署の正面入り口わき。およねさんの特等席。ぽつんと空いているカウンター前のベンチを眺めながら、自分の無力さを強く感じた。

*前回:『鑑識係の祈り――大阪府警「変死体」事件簿』より〈1〉 〈鑑識係は見た「狂暴社長」に殺された社員の忠誠心〉はこちら
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64148