連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

生涯における戦は72戦中49勝3敗20分。信玄は信長に最も恐れを抱かせた戦国武将である

信玄が江戸時代に讃えられたワケ

 武田信玄は、甲斐国に土着した清和源氏の一門で甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主である。

 甲斐の国名は、周囲を山に囲まれた、いわゆる山峡(やまかい)の峡(かい)に由来する。

 信玄は、生涯における戦(いくさ)の戦績は72戦中49勝3敗20分。戦国時代最強の武将であった。

 戦では兵士の数や陣地の場所などが重要視される。しかし、実は肝腎なのは心理戦といわれている。

『孫子の兵法』の序文に「兵は詭道なり」とある。戦いで重要なのは有利な心理戦と、先を見通す洞察力だという。

 少ない兵を多く見せたり、多くの兵を少なく見せたりして、敵が予期せぬ時期や予想しない方向から攻め入る。

 敵陣が整っていれば攻撃に対処するように防衛を固め、敵が混乱すれば、さらに挑発して冷静さを失わせる。

 敵の勢いがあれば疲労困憊させ、纏まっていれば裏切りの疑念を持たせて分裂させる。

 戦とは兵力や地の利だけでなく、騙し合いという心理戦の中で物事を俯瞰で捉えて冷静に臨機応変に対応することが肝腎と孫子は説く。

 武田信玄の軍旗に記された「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」は「風林火山」として広く知られる。

「其疾如風」其の疾(はや)きこと風の如く、「其徐如林」其の徐(しず)かなること林の如く、「侵掠如火」侵掠(しんりゃく)すること火の如く、「不動如山」動かざること山の如し。その通称が「風林火山」である。

 これは「孫子四如の旗」と呼ばれるもので戦の時、軍の時機や情勢などに応じた動き方を示す指針である。