加虐に愉悦を感じ始めた松永の半生

──緒方はこの事件の犯人でありながら、同時に被害者の1人でもあります。家族を皆殺しにされ、それを自分の手で実行しなければならなかった。しかも、松永は緒方の母親や妹とも男女の関係になったことがある。さんざん虐待もされてきた。屈辱に屈辱を重ねてきた。くすぶっていた復讐心が最後に爆発した、ということはありませんか。

小野:緒方は松永に対して復讐という段階はすでに通り過ぎていたと思います。復讐というよりは後悔の念だった。供述においても松永に対する怒りはほとんど口にしなかったようです。怒りではなく呆れだったのではないでしょうか。松永に依存し隷属していた状況からついに解き放たれたのです。

──事件の中心ですべてを指揮していた松永太は、学生時代の同級生の話によると、お調子者で、口が達者、高校生ぐらいから女性との関係が盛んでした。また、「嘘つきだった」「弱い者いじめを好んだ」といった証言もあったと本書で紹介されています。問題がある若者だったのかもしれませんが、どこにでもいる若者という印象もあります。

小野:私も松永がなぜあそこまでの犯行に手を染めるようになったのかは関心を持った部分でした。

 彼は北九州市小倉北区(当時は小倉市)の畳店の家の息子として生まれました。小学校の時に父親の実家のある福岡県柳川市に引っ越しています。

 小学生時代の同級生などの話を聞くと、当時から弱い者いじめをしていた。自分より強い者には弱く、弱い者には強い。そういった傾向は昔からありました。

 高校生くらいになり、背も高くなり、もともと端正な顔立ちだったので、女性にモテたようです。高校2年生の時に家出少女を家に泊めていた咎で学校を退学になり、別の高校に移りました。

 当時、ある友人が松永に「女を人と思っちゃいけん。女を『金づる』と思わな」と言ったそうで、松永はこの友人の言葉にかなり影響を受けたようです。松永のその後の人生を見ても、女性にカネを使わせる、女性に食わせてもらう、ということを一生懸命やっている。

 しかし、それだけでは殺人まではいきません。暴力の側面でいうと、彼が布団の訪問販売業「ワールド」を経営していた時期に、社員同士に通電をさせるようになり、人が痛みにのたうち回り苦しむ姿を楽しんで見ていた、という証言があります。

 また、緒方純子に対しても長年にわたり虐待行為を繰り返してきた。加虐に悦びを感じ、もともと持っていたサディスティックな部分が刺激され、だんだん欲望が大きくなっていったのだろうと思います。彼には強くない者、自分に歯向かえない者を見分ける特殊な嗅覚がありました。

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