(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
正月休みが明けて間もない1月7日、東京都内ではこれまでで最も多い2447人の新型コロナウイルス感染者が確認され、同日、首都圏の1都3県に2度目の緊急事態宣言が発出されました。
私が住んでいる千葉県もその対象となっていますが、つい先日まで「GoToトラベル」や「ディスカバー千葉」等のキャンペーンを展開し、大々的に旅行が推奨されていたことを振り返ると、『あれは何だったのか・・・』と首をかしげざるを得ません。
そうこうしているうちに、千葉県も9日にはついに、477人もの感染者を記録してしまいました。連日の報道を見ていると、医師会の危機感と政府の方針の乖離に大きな不安を覚えるばかりです。
幕末の日本を恐怖に陥れたコレラの大流行
実は、今と同じような危機が、幕末の日本でも起こっていました。
明治維新の10年前、1858年に日本中を襲った「安政のコレラ大流行」です。
このとき、江戸(現在の東京)のすぐ隣に位置する下総国(現在の千葉県)の銚子で、コレラの感染拡大を食い止め、ほとんど死者を出すことなく収束させた若き医師がいたことは、昨年2月、本連載の31回目〈幕末、感染症に「隔離」政策で挑んだ医師・関寛斎〉で書いた通りです。
(参考記事)幕末、感染症に「隔離」政策で挑んだ医師・関寛斎
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59485
コレラ菌がドイツの細菌学者・コッホによって発見されたのは1883年ですから、当時はもちろん、病原菌の存在など確認されていませんでした。民衆は次々と人が死んでいく恐怖を前に迷信にすがり、豆まきをしたり、家の前に松の飾りをつけたり、獅子舞に舞わせたりするしかなかったのです。
そんな中、銚子で病院を開業していた29歳の関寛斎は、高名な蘭医に教えを請い、さまざまな医学書を読み、江戸から薬を取り寄せ、そして、隔離対策を実行します。