こうなると公教育は、どうしても「最大公約数」的にならざるを得ません。「日本の本質的成長・国力の回復には優秀な人材が必要。そのためには教育に力を注がなくては」と時の政権が考え、例えば私や弊社が標榜する何かを変革していく力、リーダーシップ(始動力≠指導力)を導入しようとしたとしても、既にあるカリキュラムとの調整や学習時間の問題などとの兼ね合いで頓挫する可能性が高いと思われます。公教育に何か大胆な変革をもたらすことは不可能に近いのです。
私学中心の教育改革を
そうした状態も踏まえ、私自身は、約10年前に霞が関を離れて、まず、教育機関の設立を考えました。1クラス12名が定員の小さな青山社中リーダー塾の設立です。全くの私塾として創設し、講師は基本的に私一人で、私が考える方針の下、自由にカリキュラムを組んで現在10期生まで教えています。日本を活性化させる人材を創るということで伸び伸びやらせていただいています。9年前から、青山社中リーダーシップ・公共政策学校というパブリック系の人材を育てる学校も設立して、こちらは、私を含む様々な講師からなる学校ですが、こちらも自由にやらせていただいています。
ただ、これらは、中学・高校や大学ではないため、どうしても波及力に限界があります。仮に私に中学や高校を、自由な方針で経営・運営させていただければ面白いことができるのに、と勝手に想像することがありますが、現状では、私学であっても文科省の軛からなかなか逃れることができないので、私塾のままで良いか、などとも思います。
ここで思い起こしていただきたいのは、先ほどの菅首相が規制緩和を重視しているという話です。つまり、実は一番大事な規制緩和は「教育の規制緩和」なのではないかと思うのです。すなわち、規制が緩んだ教育の土俵の上で、色々な私学が、幼稚園・小中学校・高校・大学と様々なレベルで、様々な哲学で、自由な方針・カリキュラムで教育を進める状態を作るということです。家庭や学生本人の側から見れば、各種色々に特色ある諸学校を、自らの志向や家庭の方針に合わせて自由に選べる状態を作るということです。少子化に伴って各レベルで実質的な教育無償化が進んでいることも、所得による不平等が低減されるため、その追い風になると思います。そして、規制緩和を「成長戦略」の大きな武器として考えている菅首相こそ、そこに大胆に踏み込めるのではないかと思うのです。
日本人は教育を公教育主体で考えすぎています。そのため、先述のとおり、各学校レベルでの柔軟な発想に基づく改革や新方針の発出などがしにくく、様々な点で学校教育を縛り過ぎてしまっています。その結果、「正しい答え」を求め、みんな似たような発想をする人材が増えてしまい、個性的な人材が生まれにくい環境を作っているのです。私は、そのことが日本の国力を損ない、本質的経済成長ができない状況を作っていると感じています。