何とかサクサクと2楽章も演奏したい・・・そう思っていた私は、当初は無根拠に速いテンポでこの作品を演奏していました。

 しかし、のちに物理なども学び、音楽家として自立し、大学に物理や整理を背景にもつ音楽実技の研究室を構えるようになってから、自分にしっくりくるテンポの科学的な根拠を心拍や人間身体のスケールから考えることを始めました。

 いま私は、世の中にあふれ返る録音の、場所によっては2倍近いテンポで「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を演奏します。

 録音して計ってみると、1楽章とほぼ同じ長さになります。4つ楽章全体のバランスも極めてよろしい。

 品よく快活、かつおっちょこちょいで、35歳で死んだ青年作曲家のウイットが明確に実現するように思います。

 だから私はこのテンポで演奏する。誰に文句を言われる筋合いもなく、欧州の権威は犬にでも食わせてしまえばよろしい。

 ここに「私のインスピレーション」とか「霊感が・・・」とかいった議論が一つもないのが重要です。

 あくまですべては、無心な振り子の運動から、また人間の心拍や歩行といった、意識の下のレベルから立ち上がっている。

 だから、この解釈はそんなに簡単にはへこたれないわけです。強いものを導くのは「個性」ではなく「普遍性」で、あえて言えば、そういう普遍を導くのが個性かもしれません。

 2001年に東京藝術大学建築科から修士に進んできた村松一君と、建築家ルコルビュジェの「モデュロール」を検討したのがよいきっかけとなりました。

 だから、私が感謝すべきはルコルビュジェであり、端緒を与えてくれた元学生の村松君、ということになります。