第1回大会、日本が優勝
最大の問題は、MLBが実質的に主催する大会でありながら、MLB球団が必ずしも協力的とは言えなかったことだ。
第1回大会には、野手はデレク・ジーター、チッパー・ジョーンズ、アレックス・ロドリゲス、ケン・グリフィーJr.など錚々たる選手が出場した。
しかしこれらのベテラン大物選手は、十分に調整することなく出場し、高いパフォーマンスを見せた選手は、ケン・グリフィーJr.くらいで多くの選手は精彩を欠いた。
投手陣は、14人のうち9人が救援投手。先発投手5人のうち、ロジャー・クレメンスは43歳、アル・ライターは40歳、マイク・ティムリンは38歳。実際にエース級の投球が期待できるのは前年22勝のドントレル・ウィリスと13勝のジェイク・ピービーだけだった。
しかしドントレル・ウィリスは乱調気味で、ストライクが入らず2戦2敗。
出場選手の顔ぶれから、アメリカは優勝候補筆頭と言われたが、第2ラウンドで敗退した。
それだけでなく、ドントレル・ウィリスはシーズンに入っても制球難が治らず、成績は急落。以後、一線級の成績を残すことなく引退した。
この一件で、MLB球団のオーナーは、WBCに選手を派遣することの「リスク」を強く認識するようになった。
1990年代に入ってFA選手の移籍が活発化し、年俸が急騰。複数年の大型契約を結ぶ選手が増加した。そうした大型契約を結んだ選手が、MLBの公式戦やポストシーズンで故障するならまだしも、関係がないイベントで負傷したり、調子を落とすのは大きなリスクだと考える経営者が多かったのだ。
これに対して日本は、NPBが全面的に協力しプロ野球のトップ選手、さらにはMLBで活躍するイチローも参戦し、西武のエース松坂大輔の活躍もあって初代王者になった。
2006年の第1回WBCで日本代表が初代世界一に。ナインと一緒に大きな日の丸を持ちVサインするイチロー=ペトコ・パーク(写真:共同通信社)