大胆な脚色と史実へのまなざし、江戸中期を照らした大河ドラマの到達点

 放送のクライマックスでは、いよいよ蔦重が旅立つ場面が描かれた。実際に蔦重の墓に刻まれた碑文をもとにしながら、『べらぼう』らしい演出がなされていたように思う。

 蔦重の墓は浅草の正法寺に建てられ、碑には「喜多川柯理(からまる)」と蔦屋重三郎の本名が刻まれている。碑文を手がけたのは、蔦重との親交が深い石川雅望(宿屋飯盛)と大田南畝である。

 碑文には、蔦重がどんな人間だったのかと後世に説明するべく「志気英邁にして、細節を修めず、人に接するに信を以てす」(大きな志を持ち才知に優れて、度量の大きさから細かいことにこだわらず、人間関係では信義を尊重した人物)としながら、出版人として大成したことを、こんなふうに表現されている。

「柯理は産業を恢廓(かいかく)し、一に陶朱の殖に倣ふ」
(蔦重こと柯理は吉原遊郭を豊かにして皆を力づけること中国の偉人陶朱公のようであった)

「其の巧思妙算、他人の能く及ぶところにあらざる也。ついに大賈と為る」
(発想力や先を見通す力においては、他人が到底及ぶものではなく、ついに事業が成功して、大商人となった)

 加えて、碑文には蔦重がどんなふうに臨終を迎えたのかも書かれている。それによると、蔦重は寛政9(1797)年5月6日に死期を悟って、こう予言したという。

「今日の午の刻に自分は死ぬだろう」

 ドラマでは、蔦重の夢の中に、綾瀬はるか演じる九郎助稲荷が登場。「今日の昼九つ、午の刻にお迎えにあがります。あの世にお連れするためのお迎えです。合図は拍子木です」と告げられるという展開になっていた。

 午の刻はだいたい昼12時を指す。蔦重は、自分が亡くなったあとのことを考えて、午前中のうちに、いろいろと指示したようだ。妻との別れも済ませて、最期の時を待った蔦重だったが、なかなかお迎えが訪れない。そのまま正午を迎えると、蔦重はこう苦笑したという。

「自分の人生は終わったはずなのだが、拍子木が鳴らない。ずいぶん遅いな」

 拍子木は芝居の終演を告げる音具のこと。これが蔦重の最期の言葉となる。享年48だった。

 そんな臨終の場面がドラマでは、どう演出されたのか。いよいよ午の刻を迎えようとしたときに、蔦重が皆に守られながら意識を失うと、遅れて山東京伝が登場し「また、またまた……どうせ、かついでるんでしょ!?」と駆け寄り、さらに蔦重の育て親である2人のほか、吉原の面々も現れた。

 目を覚まさない蔦重に南畝は「親が別れも言えぬなど……」とつぶやき、立ち上がって「呼び戻すぞ」と言い出した。何をするかと思えば、「蔦重! 俺たちは屁だ~!」と叫び、「屁!屁!」と言いながら以前宴会の座敷で盛り上がったように、踊り始めた。

 周囲もそれに従って輪になると、妻のていまでが加わって輪になって「屁!屁!」「戻ってこい!」の大合唱。「蔦重よ、死なないでくれ!」という思いがひしひしと伝わってきて、思わず泣き笑いをしてしまった。

 願いが届き、目を開けた蔦重。「拍子木……聞こえねぇんだけど」とつぶやいた。これだけ周囲が騒がしければ、それも無理はない。最後はみんなで「へ?」と声を合わせて、幕が閉じた。しんみりさせながらも、賑やかでおかしみがある、見事なラストシーンだった。

 江戸時代中期、それもNHK大河ドラマでは初めて18世紀後半を舞台にした『べらぼう』。大胆に脚色しながらも、しっかりと史実のポイントを押さえて、それも物語の推進力に変えていく。そんな名ドラマだったといえよう。

 2026年は『豊臣兄弟!』。今度の舞台は戦国時代へ。豊臣秀吉の弟・秀長はいかにして、天下人の兄を支えたのだろうか。来年も引き続き、大河ドラマの解説を行っていきます。ぜひ本連載を引き続きお楽しみください。

【参考文献】
『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』(松木寛著、講談社学術文庫)
『蔦屋重三郎』(鈴木俊幸著、平凡社新書)
『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(鈴木俊幸監修、平凡社)
『宇下人言・修行録』(松平定信著、松平定光著、岩波文庫)
『松平定信 政治改革に挑んだ老中』(藤田覚著、中公新書)
『松平定信』(高澤憲治著、吉川弘文館)
「蔦重の復活と晩年 その後の耕書堂」(山村竜也監修・文、『歴史人』ABCアーク 2025年2月号)