台東区の正法寺にある蔦屋重三郎の墓碑
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 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。最終回「蔦重栄華乃夢噺」では、写楽絵を出しながら、和学の分野にも新たに乗り出した蔦重だったが、江戸の流行病「脚気」を患ってしまい……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

仲間は第二の人生へ、出版人として走り続けた蔦重

 最終回になってもなお、蔦屋重三郎はせわしなく駆け回る。周囲の仲間たちの中には、第二の人生を歩み始めた者もいたにもかかわらず、である。

 ドラマで蔦重は妻・ていに、こんなふうに仲間の近況を話した。

「南畝先生は学問吟味に一番で合格だろ。政実は津山松平家のお抱え。ああ、政演は大繁盛だってよ、店が」

 まず、大田南畝(おおた なんぽ)が挑戦した「学問吟味」とは、朱子学の学識を問う筆答試験のこと。寛政4(1792)年に新設されると、南畝は見事に首席で合格。その後、幕閣として出世を重ねていく。それでも、創作の楽しみは忘れられなかったようだ。仕事に差し支えない範囲で、大坂に赴任後は「蜀山人(しょくさんじん)」の名で狂歌の創作を再開する。

 次に、「政実は津山松平家のお抱え」とあるように、北尾政美(まさよし)は寛政6(1794)年に美作(みまさか)・津山藩の御用絵師へ。寛政9(1797)年からは「鍬形蕙斎(くわがた けいさい)」の名で活動することになる。

 そして「政演は大繁盛」というのは、北尾政演(まさのぶ)、つまり、山東京伝(さんとう きょうでん)が寛政5(1793)年に京橋銀座で開業した、煙草入れの店「京屋」のこと。画才だけではなく、商才もあったようだ。粋な遊郭通いで振る舞いが洗練されていたこともあり、ビジネスでも大成功を収めている。

 一方で、蔦重は出版人としての生き方を貫く覚悟を固めていた。今回の放送では、伊勢・松坂へ。お目当ての相手は、『古事記』や『源氏物語』の研究で知られることになる国学者の本居宣長(もとおり のりなが)である。