「夢は何ですか?と聞きすぎる社会はしんどい」と山田ルイ53世は語る(写真:show999/イメージマート)
テレビやSNSの「キラキラ」に僕らは注意を向け過ぎてはいないだろうか。「夢」や「人生の意味」に僕らは急かされ過ぎてはいないだろうか。僕たちは「キラキラ」生きなくてはいけないのだろうか。『僕たちにはキラキラ生きる義務などない』(大和書房)を上梓した髭男爵・山田ルイ53世氏に話を聞いた。(聞き手:飯島渉琉)
飯島:どのような経緯で今回の書籍を執筆されたのでしょうか。
山田ルイ53世(以下、山田):僕は最近、講演会に呼んでいただくことが増えていて、その講演のタイトルが「僕たちにはキラキラする義務などない」なんです。
文化放送Podcastの『ルネッサンスラジオ』(通称:ルネラジ)も、気づけば900回を迎えていて、スタッフ一同「え、もうそんなに?」とちょっとゾッとしているんですけど(笑)。ルネラジでもずっと似た話をしてきて、その延長線に今回の本があります。
中二の夏に不登校になって、二十歳前まで引きこもり。大学も一度は潜り込んだものの途中でやめて、上京して芸人になって、下積みを経て「ルネッサンス」で一発当てて飯は食えるようにはなりましたが、ほどなく「一発屋」と揶揄され始めました。
そういう人生を振り返りつつ、「そんなに生き生きと、キラキラしてないとダメですかね」という話を講演でしてきました。
担当編集の方が「考えをまとめましょう」と言ってくれて一冊になったんですが、正直「温めていた」というより、1年くらい書きあぐねていたんです。自分の考えを“意見としてまとめて本にする”経験がなかったし、何より「おこがましいな」「恥ずかしいな」という気持ちがずっとあって、なかなか筆が進まなかった。
だから、この本は勢いで言い切った本というより、恥ずかしさと逡巡を抱えながら、それでも外に出してみたという本なんです。
引きこもりを「美談」にされる違和感
飯島:引きこもり経験があるから今があるという“美談の着地”を求められることが多いと書かれていました。
山田:そういう質問、めちゃくちゃ多いんです。僕が「6年くらい引きこもってました」と言うと、まとめとして「でもその6年があったから今があるんですよね」と持っていかれる。体感では、インタビュアーの多くがその美談の着地を好みます。
もちろん、そう言いたくなる気持ちは分かるし、そうやって救われる人もいると思う。でも、僕に限って言えば、当時は友達と遊んだり勉強したり、修学旅行に行ったりした方がよかった。
だから僕は「無駄でした」と言うこともあります。わざと強めに「ドブに捨てたようなもんです」と言ってみても、なお食い下がって「いやいや、あの6年があったから今の山田さんが……」と言われることがある。
その時に僕が感じるのは、過去を振り返った時に「全部に意味があった」「意義深いものだった」と言わないと気が済まない、無駄を許さない不寛容さです。
例えるなら、訳の分からんまま海で溺れて、海底まで沈んで、バタバタ必死に足掻いて、ようやく水面にプハッと顔を出した。「大丈夫か」と手を引いてくれるかと思ったら、握った拳をこじ開けられて「宝物持ってきてないんか」と迫られる感じ。そこまで有意義に過ごさなあかんか、と。
何にでも意味がある、有意義でないとダメだというプレッシャーや風潮が、結局は「素敵に」「キラキラ」生きることを全員に要求してくる。それは少なくとも僕は嫌やな、しんどいな、ということです。
