「生きづらさは弱さではない」と著者は語る(写真:Trickster/イメージマート)
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 SNSで語られる「しんどさ」から職場での過剰適応まで、誰もが「生きづらさ」を抱えやすい時代になった。上谷実礼氏(産業医・公認心理師)は、その背景に「未完了の感情」と「境界線(バウンダリー)の欠如」があると指摘する。心が疲れる仕組みと、その立て直し方とは何か。『心を病む力 生きづらさから始める人生の再構築』(東洋経済新報社)を上梓した上谷氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

ありのままの自分とは何か

──「今や、生きづらさは誰の身にも起こりうる一般的なものになりました」とありました。これは、どのような意味でしょうか。

上谷実礼氏(以下、上谷):かつて「生きづらさ」という言葉は、機能不全家族で育った人、性的マイノリティ、発達障害のある人など、特定の背景を持った人が抱える困難を指す文脈で使われていました。

 でも、この言葉が日常語として浸透したことで、多くの人が「これこそ自分の感じているしんどさの正体だ」と認識できるようになりました。その結果、生きづらさは特定の誰かだけの問題ではなく、「誰にでも起こりうるもの」へと変化したのだと思います。

──「言葉と感覚の一致」とは?

上谷:例えば、「うつ病」という診断名ができて、その言葉が世間で広がっていくと「もしかして、私の状態はうつ病なのかもしれない」というように、自分の状態を言葉に落とし込むことができるようになります。「生きづらさ」も同様に、市民権を得た言葉、感覚になってきたのではないかと感じています。

──「ありのままの自分」とは、一般に「理想の自分」と説明されがちですが、先生はこの解釈に異議を唱えています。上谷先生の思う「ありのままの自分」とは何を意味しているのでしょうか。

上谷:「ありのままの自分」を考える上では、まず「自分とは何か」を整理する必要があります。

 私は、自分とは「身体そのもの」だと考えています。身体で感じる感覚、身体から生まれる感情。それを感じている主体としての自分。この「身体としての自分」こそが「ありのままの自分」です。

 つまり、生きづらさを感じている自分も、望ましくないと感じている自分も、そのまま「今の自分」として存在していいのだという考え方です。