「夢は?」を聞きすぎる社会のしんどさ
飯島:キラキラという言葉には、芸能界への憧れも含まれると感じます。芸能界の中にいる山田さんは、どう見ていますか。
山田:僕は向いてないんですよ、あの世界に。昔、スターが一堂に会する大型特番に呼ばれた時があって。休憩の合間に高級店の屋台が並んで、みんな楽しそうに談笑してる。でも、僕は絶望的に身の置き所がなかった。ああいう大勢の中で立ち回れないし、輪に入るのが下手なんです。
それに僕、趣味が全然ない。業界って「これが好き」「これにハマってる」を上手に見せて仕事につなげる、つまりキラキラの瞬間をマネタイズできると強い部分があるのですが、僕にはそれがない。芸能界は存在そのものが発信みたいなところがあるから、そこに乗れない自分は余計にしんどくなる。
ただ、だからといって芸能界のキラキラを否定したいわけでは全くない。僕が言いたいのは、「向いてる人は向いてる、向いてない人は向いてない」という当たり前を、もう少し自分も周りも許容できるようになれば楽だな、というだけですね。
飯島:本書では、夢や目標を聞きすぎる社会への違和感も語られていました。
山田:簡単に人に夢とか目標を聞きすぎなんですよ。「今年の抱負は?」みたいにみんな当たり前に聞くでしょう。小学生の娘が学校からもらってきたプリントにも「将来の夢」欄がある。夢がないと引け目を感じる空気が、小さい頃から仕込まれてる。
深夜2時の歌舞伎町を歩いてたら職質される、みたいな感覚に近い。「夢は何ですか?」「目標は?」と、社会が職質みたいに聞いてくる。生きていくためにアリバイが要るんか、と。
道端で捕まえられて「お前、夢はあるのか」と聞かれて、「すいません、家に置いてきました」とごまかさなあかんような社会はきついです。
もちろん、大谷翔平さんや本田圭佑さんみたいなすごい人は確かにいる。だけど、そういうエピソードばっかり浴びせられると、「比べて自分は?」と落ち込む人が必ず出る。僕らは、そういうすごい人ばかりじゃない。そこを忘れたらあかんと思うんです。