何度も幻覚に襲われ「自分は死んでしまったのか?」と錯覚

 だが、それ以降も完全に落ち着きを取り戻すことはできなかった。

 うたた寝から目を覚ます度に、幻覚に襲われることになった。腕がなくなったのにまだあるような感覚が生じたり、時には腕がかゆくなる感覚に見舞われたりもした。

 また目を閉じると、手術前の出来事がフラッシュバックし、次から次へと自分の身に起こったことが頭の中を駆け巡った。

 そんな状況が続き、身体はかなり疲れ切っていた。ベッドから起き上がるどころか、身動きがまったく取れなくなっていた。ただ同じ病室の患者さんや看護師さんの声が聞こえてくるだけだった。

 徐々に不安が増していき、再び軽いパニック状態に陥ってしまった。

 少しオカルティックな話になってしまうが、死を迎えようとする人は自分の人生がフラッシュバックすると言われている。ますます不安が強くなっていくうちに、実は自分はすでに死んでしまったのではないかと思い始めていた。

 すでに自分の意識が身体から離れ、病室内を浮遊している状態。

 だから看護師さんも自分に話しかけてくれないんだと……。

 何とか自分の状況を確認したいと思う一方で、看護師さんに聞くのもちょっと怖い。無視されて自分が本当に死んでしまったと分かったらどうしようという不安があった。

 そんな中、見覚えのある看護師さんが側に来たので勇気を出して呼び止めたところ、その声に反応して僕のところに歩み寄ってくれた。それでも自分は死んでいると疑心暗鬼になっていたので、誰かが見送りに来ているかもしれないと思い、看護師さんに尋ねた。

「誰か面会に来ましたか?」

 パニック状態からはまだ脱していなかった。看護師さんを呼び止めたのが夜の11時だったこともあり、その返答は「来ていたとしても、この時間だから帰ってしまったんじゃないですか」だった。普通ならこれで納得できるのだろうが、パニック状態の自分は、自分が生きているかどうかの明確な返事をもらえていないと感じ、不安を解消できずにいた。

 そんな自分の表情を察したのか、今度は看護師さんの方から「どうしたんですか、佐野さん、大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。「今自分はどこにいるの?」と尋ねたところ、「HCUにいます」との言葉が返ってきた。

 続けざまに「HCUって何なの?」と確認したら、看護師さんは一般病棟とICUの中間に位置する治療室であること、ICUに入るほどではないが、要経過観察の状態であることを丁寧に説明してくれた。

 この説明で、手術が成功し、自分は無事に生還していると認識することができた。それを機にようやく安堵感が込み上げてきた。

 安心できたことで看護師さんに「実はオレ、死んだと思ってた」と本音を漏らしてみた。「そんなことないから大丈夫ですよ」と念を押してくれた。

 何とか頭の中を整理することができ、改めて自分が右腕を切断したことを認識するに至った。そして上腕だけになった右腕を見ながら、心の中でもう一度「ごめんな」と謝罪していた。

『右腕を失った野球人』(佐野慈紀著/KADOKAWA:2025年5月1日発売)