先生との話し合いで、右腕切断は避けようがない現実を突きつけられ、その上で切断箇所の相談を受けた。

 彼の説明によると、ヒジを残して前腕部分だけを切断するか、ヒジの上部から切断するか、2つのオプションがあるということだった。ただヒジを残した場合、感染症を抑えきれず、繰り返し感染部分を切除し続けなければならない可能性も指摘された。それならば「ヒジ上部から切断しましょう」と自分の考えを伝えた。その時点で自分の覚悟を固めることができたのかもしれない。

 ヒジ上部から切断しようと決めたのは、感染症にむしばまれていく流れを何とか断ち切りたい思いが強かったからだ。またこのまま感染症の進行を止められなければ、さらに上腕や肩も切断する可能性があると聞かされた。

「肩まで失うようなら、もう生きていけねぇわ」

 これまで野球をやってきたことまで否定されてしまうような感情が湧き上がった。絶対に肩は失いたくないという決意の表れでもあった。

 ただその一方で、他人にぶつけることはなかったが、たとえようのない理不尽さも感じていた。

 2本の指を切断してからも、毎日洗浄をしてもらっていたし、感染症拡大に注意しながら病院で過ごしていた。それでも徐々に右手甲、手首と腫れ始め、患部には膿が溜まるようになっていった。自分でも感染症が広がっているのは理解できていたし、ただ経過を見守るしかない自分が虚しくもあった。

 ベッドの上で淡々と手術の時間を待つ一方で、すでに2本の指を失った右手と右腕を見つめながら、心の中で何度も「これまで支えてくれてありがとう。こんな結果になってしまって本当にごめんなさい」と感謝と謝罪を交互に伝え続けていた。

 右腕を失う覚悟は決まっていたとはいえ、自分の野球人生を支え、ともに闘ってくれた証でもあるトミー・ジョン手術の痕も失ってしまうことに、この上ない悲しさを感じていた。正直にいえば、右腕を切断することを素直に受け入れられたわけではなかったし、心底別れるのが辛かった。その思いは今も変わっていない。

 そんな複雑な心境を抱きつつ、時間はゆっくりと、そして確実に経過していった。そして昼頃(正確な時刻は記憶に残っていない)に看護師さんから「手術室から連絡がありましたよ」と伝えられ、手術着に着替えた後、手術室に向かう車椅子に座った。