第二次アヘン戦争勃発、九龍半島割譲

 

アロー号を拿捕する清国兵

 香港は太平天国の乱から逃れた人々が流入してきてにわかに活気づき、人口が4万人から8万5千人にまで増加した。それほどまでに清国内は荒れていたのだ。清は太平天国の乱だけでなく、イギリスともたびたびの小競り合いを起こしていた。

 1856年、清とイギリスは再び武力衝突を起こす。第二次アヘン戦争、またはアロー戦争と呼ばれる戦争である。ことの起こりはアロー号という名の船であった。イギリスの全権代表で貿易監督官のボウリング香港総督は、香港の清国人達が所持する船をイギリス船として登録することを許可していた。しかし広州の役人がイギリス船として登録されたアロー号に乗り込み、乗組員十数人を海賊行為と密貿易の嫌疑で逮捕してしまった。広州領事ハリー・パークスはアロー号への不法な取締りと、この時にイギリス国旗が引き裂かれたことを非難した。

 実はこの時すでにアロー号の登録は期限が切れていたが、パークスは構わず難癖をつけた。そして中国当局に乗組員の釈放と謝罪を要求した。清側は釈放に応じたものの、当時イギリス国旗は掲揚されていなかったとし、イギリス国旗への侮辱に対する謝罪は拒否した。これを受けボウリングは広州攻撃の準備を進めた。このいざこざを口実に再び戦争を起こし、南京条約をイギリスに有利な条件に修正しようというのである。

 この戦いで清は苦戦を強いられ、戦いの最中に天津条約が結ばれた。これは清側が不利な不平等条約で、北京に外交官を常駐させる、多額の賠償金を支払うなどの条件のみならず、自由貿易を認めさせるものであった。そしてアヘンの輸入に関税を賦課することが定められ、いよいよアヘン貿易が公認化されてしまった。

 続く戦いにおいて北京を占領された清は、1860年に北京条約を締結するに至った。これにより九龍半島の界限街以南と香港島の西に位置するストーンカッター島がイギリスに割譲されてしまった。イギリスはいよいよ香港全域の占拠に王手をかけたのである。

参考文献
九龍城寨の歴史 魯金著 倉田明子訳 みすず書房
香港の歴史 ジョン・M・キャロル著 倉田明子、倉田徹訳 明石書店
最期の九龍城砦 中村晋太郎 新風舎
大図解九龍城 九龍城探検隊 岩波書店
日本占領下の香港 関 礼雄著 林 道生訳 御茶の水書房
香港追憶 長野重一 蒼穹舎