九龍城砦完成

 アヘン戦争によりイギリスが香港島を占拠したことから、その対岸に位置する九龍寨の軍事的な重要性が否応なく増すこととなった。城壁を造り、ふさわしい執務室を設けることが急務である。頼恩爵はマカオ付近にあった前山寨城を参考に、九龍寨城を設計していった。前山寨城はマカオにやってくるポルトガル人の監視を目的として築かれた役所であったため、先行事例として最適だった。

 建築に際しての費用は寄付金によってまかなわれた。清の時代、各地方の城壁建築は寄付によって行われるのが常であり、頼恩爵ら位の高い役人たちが多くの寄付をした。こうして1847年5月、「九龍城砦」が完成した。完成した九龍城砦は堅牢な城壁のほか、役所も建設され、兵舎や「龍津義学」という学校も建設された。

 この「龍津義学」は九龍城砦の中央に位置し、東隣には九龍巡検司が置かれる。近世の九龍城砦においては「龍津義学」の位置に「義学大楼」という名の学校が、九龍巡検司の位置に老人中心(老人ホーム)や青年中心(青年センター)、幼稚園があった。城砦化の名残が近世まで残されていたわけだ。九龍城の防衛範囲は現在の新界や離島を含む広範囲におよび、200村余りを管轄した。