8日間の陥落

 防衛拠点としての機能を備えた九龍城砦であったが、完成してから間もない1854年にわずか8日間だけ陥落したことがある。九龍城砦を襲ったのは羅亜添(ローアーティム)という客家人(※1)であった。羅亜添は反清政府を掲げる香港三合会の首領であった。太平天国の乱(※2)に呼応した広東省の三合会が各地で勝利を収めているのを機に、各地の反乱に駆り出され防備が手薄になった九龍城砦へと攻め入ったのである。清軍は香港の外国人傭兵の力を借りて8日後に城砦を取り戻したという。当時の清がアヘン戦争でいかに疲弊していたのかがわかるエピソードと言えるだろう。

※1 客家(ハッカ)人…広東省、福建省、江西省、台湾などに住む漢民族の一種。客家は「よそ者」の意味が含まれる言葉で、独自の言語と文化を持つ。

※2 宗教家の洪秀全(こうしゅうぜん)が起こした反乱。1850年、洪秀全が興したキリスト教を基にする「拝上帝会」が広西省で蜂起し、翌年には1月に「太平天国」の国号で独立国家を樹立した。太平天国の国号は1864年まで続いた。