Post-truth(「ポスト真実」)の背景にあるのが、アメリカのキリスト教である。聖書こそ科学の権威の源泉であり、聖書を科学の上に置く態度は、「聖書的世界観(Biblical Worldview)」を欠いている既存の大手マスコミや知識人への異議申し立てにつながる。

 そのような知性主義こそ「リベラル」と呼ばれる風潮であり、ハーバード、イェール、プリンストンといった大学はまさにその典型なのである。

アメリカの個人主義

 アメリカは、旧大陸から見れば「新世界」である。その新世界には、旧大陸の堕落とは異なる新鮮な世界がある。

『トムソーヤーの冒険』(1876年)や『大草原の小さな家』(1932年)と並ぶ私の愛読書がH.D.ソローの『森の生活:ウォールデン』(1854年)である。

 ハーバード大学で学んだソローは、同大学の先輩であるR.W.エマソンに傾倒し、その仕事を手伝う。彼らは、ハーバードで学んだが故に、知識人の集う都市を嫌い、自然と田園を愛するのであり、都市化するアメリカが民主主義を堕落させることを危惧するのである。神の恵みを感じることができ、宗教心を涵養する自然こそが称えられるべきだという考えには、反知性主義の要素を見ることができる。

「文明は家屋を改良してきたが、そこに住む人間まで同じ程度に改良したわけではない」(邦訳、岩波文庫、上巻 64p)

「貧しい分だけ、諸君は軽薄な人間にならなくてすむわけだ。物質的に低い暮らしをするひとも、精神的に高い暮らしをすることによって失うものはなにもない」(同、下巻 285p)

 このように主張するソローはまた、国家は国民が平和に暮らすための道具にすぎず、もし国家が個人の自由や良心を抑圧するようなことがあれば、個人は抗議する権利を持つと、「市民の反抗」を訴えた。

 アメリカのようにキリスト教が人々の生活の中に根付いている「新世界」は、信教の自由をはじめとする個人の自由が最大限に尊重される民主主義社会である。