高校・大学時代は「パッとしなかった」
日本人トップになった近藤は2023年2月の全日本実業団ハーフマラソンで日本人トップの3位(1時間00分32秒)に入っているが、学生時代は目立った戦績を残していない。それでも「将来はマラソンで活躍できるかもしれない」という明るい希望を抱いていた。
「初めてマラソンを意識したのは中学生の頃です。800mや1500mで勝てなかった選手に3000mで勝つことができて、距離が延びれば勝負できるのでは、という安直な思いがあったんです。高校、大学もパッとしませんでしたが、『距離が延びれば強くなる』という勝手な思い込みがあったので、『マラソンまでは絶対やってやるぞ!』という気持ちでした。自分に対する期待だけで、ここまでやってこられたかなと思っています」
島原高時代は3年時に国体少年A5000に出場しているが、インターハイには出場していない。順大時代は箱根駅伝出場にたどり着いたのが最終学年だった。10区で準優勝のゴールに飛び込んだが、区間順位は14位。それでも地元の三菱重工に入社して、近藤は“かつての自分が想像したように”強くなっていくことになる。
「三菱重工はマラソン部ですし、3年目以降はマラソンを走りたいという思いがあったんです。昨年12月から本格的にマラソン練習を始めて、しっかり準備してきました」
マラソン練習でコツと自信をつける
入社3年目の今季は10月に以前から気になっていたという両足の足底(筋膜炎)が悪化。11月は貧血に悩まされたこともあり、ニューイヤー駅伝の出走メンバーを逃している。それでも1月のニュージーランド合宿で手応えをつかんだ。
「大切な練習や試合になると上半身に無駄な力が入っていたんですけど、定方(俊樹)さんの後ろを走った40km走でマラソンの走り方というか、ラクに走るきっかけをつかんだんです。距離を踏んでいたので、自然とリラックスする走りが身につけられた部分もあるのかなと思います」
そして迎えた大阪マラソン。本人は「2時間08分00秒」を目標にしていたが、黒木純監督は「2時間5~6分台の練習はできた」と自信を持って、近藤を初マラソンに送り出した。
「タイムよりも30kmまで余裕を持って、カラダの軸をブラさにず最後まで走りきれたらいいなと思っていました。途中できつい場面があったんですけど、前の選手のリズムをもらって回復しながら走り続けられたのが良かったです」
また大阪マラソンでは定方の「マラソンはずっときつくても、突然ラクになるときがある」という言葉を信じて、臨んだことも大きかったという。
「10kmまではあっという間に進んで、そこから20kmまでが長く感じて、きつかったんですけど、30kmまでに回復することができました。さらに40kmでふとラクになって、そこからまた元気が出て走れたんです」
終盤は両脚がけいれんし始めたが、最後まで力強い走りが崩れることはなかった。有力選手が多く出場する東京マラソンを残しているとはいえ、無名に近い存在だった近藤が今年9月に開催される東京世界陸上の日本代表候補に名乗りを挙げたことになる。
「正直、世界陸上を狙っていたわけではなかったので、びっくりしています。もし選ばれたら、日本代表に恥じない走りをしたいですね。2023年のブダペスト世界陸上で先輩の山下一貴さんがメダル争いを繰り広げたので、世界大会のメダルは遠くないんじゃないかなという希望を抱いています。私自身もそんなレースができたらといいなと思っています」
今後はマラソンを軸に駅伝も走りたいという近藤。まだ出場していないニューイヤー駅伝での走りも楽しみだ。そして近藤の存在が高校・大学で思うように活躍できていない選手たちの“希望”になるだろう。