今のアメリカは、1980年当時の弱体化したアメリカとは違うし、アメリカ国民の肌感覚も異なる。「トランプ・デモクラット」という現象もほとんどない。
レーガンが当選した当時のアメリカは、明るい雰囲気であった。私が訪米中の1981年3月30日の午後、レーガン大統領が銃撃されるという暗殺未遂事件があった。そのとき私は、ホワイトハウスで大統領補佐官と会談していたが、すぐに会談は中止となった。
レーガンは、幸い一命を取り留めた。病院でのユーモアに富んだジョークをはじめ、彼の対応ぶりが国民的人気を高めた。医師や看護師に対して、「君らは民主党員ではないだろうな」と言って、診療の現場を和ましたのである。
トランプも大統領選中に銃撃されたが、レーガンのような明るい反応はできなかった。国民の分断は促進するが、融和と団結を実行する気は無さそうである。
レーガノミクスの光と影、トランプは教訓にできるか
レーガンの経済政策は「レーガノミクス」と呼ばれたが、その特色は、(1)政府支出を抑え「小さな政府」にする、(2)大幅な減税を行う、(3)規制緩和を実行する、(4)マネーサプライの伸びを抑え、政策金利を上げ、通貨高に誘導する金融政策を実行するというものであった。
理論的には、供給量を増やすことを重視するサプライサイド経済学、マネタリズムに基づいていた。これによって、経済成長率を上げ、雇用を増やし、インフレを抑制し、財政収支が改善することが期待された。
レーガンは、強いアメリカを復活させるために軍事支出を大幅に増やしたが、減税と相まって、財政赤字は拡大した。さらに、ドル高は輸出を減らし、輸入を増やすことになり、貿易赤字を拡大させた。こうして、アメリカは、財政赤字と貿易赤字の双子の赤字に悩むことになる。
数字で見てみよう。レーガノミクスのうち、成功したのは金融引き締めによるインフレの抑制のみで、他は期待した成果を上げることができなかった。1981年〜1986年の年間平均データでは、実質GNP成長率は、予想が3.9%で実際は3.2%であった。消費者物価上昇率は、予想が6.7%で実際は4.9%であった。1988年には3.2%まで下がった。失業率は、予想が6.6%で実際は8.1%であったが、1988年には5.5%まで減少した。財政赤字は、予想が147億ドルで実際は1723億ドルであった。
トランプの経済政策が、物価高を抑制し、アメリカ企業の国際競争力を高め、「偉大なアメリカの復活」につながるかどうかは不明である。経済政策に失敗すれば、国民の支持は退潮する。
レーガン政権の歩みを振り返ることは、今のトランプ政権を観察するときに役に立つ。分断を助長するトランプには、レーガンの国民団結の精神を学んでほしい。アメリカの統一が保たれてこそ、世界の平和と繁栄がもたらされることを忘れてはならない。