ソ連を崩壊に導いたレーガン
当時のアメリカ人は、人質の救出もできないことや経済不況に落胆し、「強いアメリカ」の復活を主張するレーガンを支持した。私の友人の民主党支持者の多くが、レーガンを支持したが、彼らは「レーガン・デモクラット」と呼ばれた。
レーガンは、選挙人数で489対49と圧勝した。レーガンは1984年の大統領選挙でも再選される。
レーガンは、米ソ冷戦下で、ソ連を「悪の帝国」と呼んで非難し、軍拡によってソ連を力で追い込んだ。1983年には「スターウォーズ計画」と呼ばれる戦略ミサイル防衛構想、SDI(戦略防衛構想)を打ち上げたが、それらの政策が奏功し、ソ連の弱体化を招いた。1985年にはゴルバチョフが書記長となり、米ソ関係は好転した。ソ連は崩壊の道を辿り、1989年のベルリンの壁崩壊へとつながる。

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当時の国際情勢と今とを単純に比較することはできないが、バイデン政権が、カーター政権の米大使館人質救出事件失敗のような大きなミスを犯したわけでもなく、ロシアの軍事的脅威に晒されているわけでもない。ウクライナもイスラエルもアメリカの支援によって戦争を続けることができている。
トランプは、ウクライナや中東で戦争を終わらせ、復興への道筋を付けることができるのか。