薩長融和と近藤の役割

 社中の中で、近藤は異彩を放っており、事実上、代表格として井上の鹿児島行きに同行している事実は、飛び抜けて重要であろう。近藤は龍馬とこの時点では同格以上であり、薩長融和に果たした近藤の役割は、極めて重いレベルにあったのだ。

 8月1日、井上は小松・近藤とともに鹿児島に到着し、その後20日間にわたって滞在した。井上はその間に、桂久武、大久保利通、伊地知貞馨ら薩摩藩の要人と繰り返し会談した。そして、これまでの両藩間の疎隔を融和し、皇国のために薩長連携が必要であるとの意見で一致した。井上の鹿児島行きによって、薩長融和は大進展を遂げたのだ。

長州藩主に謁見した近藤長次郎

 近藤が中心となって武器を長崎から長州藩に運搬した際、驚くことに、9月7日に長州藩主敬親に謁見を許され、ユニオン号購入への尽力を要請された。さらに、この間の武器購入・運搬への尽力に謝意を示されて、三所物(小柄・笄〈こうがい〉・目貫 )を下賜される栄誉を得た。

 また、長州藩主父子から久光・茂久父子に対する礼状(9月8日付)を預かった。そこには、井上から薩摩藩が勤王に殊更まい進する様子を伺い、この間のわだかまりは全て氷解し、欽慕している。そして、ますますの両藩の厚誼を依頼した。さらに、詳細は上杉宗次郎(近藤長次郎)より聞き取って欲しいと懇請したのだ。薩摩藩士である近藤の面目躍如たる内容である。 

島津茂久

 この礼状は、今回の井上の鹿児島での厚遇に対する御礼という形式を取りながら、近藤に託されたユニオン号購入の斡旋を期待したものであった。長州藩主父子が薩摩藩主父子に欽慕するとまで述べて、関係改善を持ちかけており、薩長両藩のトップレベルでの融和促進の機運が盛り上がったのだ。