2010年代の日本社会は「グローバル・スタンダード」ではなかった
トランプ1.0の時代にはトランプ政権の荒波を首脳同士のトップ外交がむしろ好機に転じさせた。トランプ2.0の今回は期待薄だろう。
日本では剛腕のウルトラライトと目されることも多かった安倍政権だが、世界での評価はむしろ高かった。
もちろん数の論理に支えられ、異論や疑義が通らないこととコインの表裏であるのだが、政治的には相当安定していた。経済的にもアベノミクス批判は根強く、非正規雇用率の向上が指摘されるが、もっぱら高齢化と大企業の雇用継続の努力義務化などの影響が大きいのではないか。
実際、目に付く成長産業こそ生まれなかったが、不本意非正規雇用の数は劇的に減少し、正規雇用者数は微増し、失業率も低水準で推移し、有効求人倍率の改善と人手不足状態、最低賃金引き上げなどが生じた。
政治だけではなく、ある意味、欧米とは異質のこうした2010年代の日本社会を支えた政治、経済、社会的諸条件が変容しつつあるからだ。
ある意味ではそれらの諸条件が2020年代の令和の日本は大きく「グローバル・スタンダード」に近づいたし、今後もそうなっていくことが自明視される。
ゼロ金利政策の時代は終わった。政治的安定性は大きく損なわれ、インフレ状態は継続し、一瞬上振れしたかに見えた賃上げも、再び実質賃金がマイナスに戻ってしまった。
コロナ禍の終わりとともに、インバウンドは激増し、2019年の訪日外国人年間3000万人を超えることが目されている。円安状態で日本人の海外渡航の負担感は大きいが、外国人にとっては割安感が根強く、外国人向けの二重価格が真剣に議論されている。
特定技能制度の導入など制度の整備も進んだことから、外国人労働者も昨年2023年には年間200万人を超え、過去最高となった。
幸い人手不足感が根強いことから、日本人と職を奪い合うという状況には至っていないが、深刻な景気後退期が来たときはどうか。
すでに東京圏でも、川口市のクルド人問題のように政治的にも注目されるような分裂や事実上の移民を巡る社会問題が生じている一方で、長く続く従来型の「共生社会」政策が今後も機能するかは予断を許さない状況にある。
メディアと政治、社会を巡る状況も2010年代半ばと大きく変わりつつある。この間に新聞の一世帯あたり部数はとうとう0.5を割りこみ0.49にまで減じた(2023年)。
世帯でみれば、もはやマスメディアとも呼べない有り様である。
ちなみに2015年当時には0.8で、確かに一世帯あたり部数は1を割っているものの、新聞購読世帯は多数派といえ、確かに「マスメディア」を標榜できた。
だが、現在においては、なぜ伝統的なメディアをマスメディアと呼ぶべきか議論が必要な状況になってしまった。
テレビにおいても同様である。平均視聴時間は若年世代ほど短く、年長世代ほど長い。むろんネットと動画視聴に置き換えられたのである。
恐らく時計の逆回しは起きないだろう。今後もますますネットがメディアの中心になり、伝統メディアの存在感は失われていくはずだ。