広島・長崎を十分に発信していない日本
1963年に生まれたグループ「ハイレッドセンター」は公の場で日本政府や安保をパロディ化。先鋭的な批判活動を展開。パフォーマンス「シェルタープラン」は帝国ホテルの一室で招待したオノ・ヨーコやナムジュンパイク、横尾忠則に徹底した身体測定をしカスタムシェルターとされる箱を作る。国立市の公民館での「敗戦記念晩餐会」は、観客を招待するが主催者だけが晩餐をとる。
特攻隊だったが生き残ることができた池田龍雄は、54年のビキニ環礁でのアメリカの核実験で日本のマグロ漁船が被爆した事実を「10000カウント」で描く。
川田喜久治は59年から広島の「地図」プロジェクトで終戦前の特攻隊の祭壇や皺のよる日の丸の写真でメッセージを発し続ける。
東松照明は写真「広島長崎ドキュメント1961」で道徳の死を世界に見せ続ける。
国家権力を強く批判し続ける山下菊二の日本軍の植民地犯罪を非難するアグレシブな彼の絵画は、動員され自らも犯罪に参加したトラウマによる叫びのようだ。
その他にも被爆写真が公開される以前に丸木位里と俊夫婦が描いた「原爆の図」は迫力あるリアリティで脳裏に焼きつく。第一次世界大戦のフランス陸軍の医師で、パリで絵画を学んだ中原実は、戦争体験を冷静に心象表現する。
奇しくも展覧会初日に日本被団協のノーベル平和賞受賞が発表された。展覧会の準備で4年にわたり核社会を学んだガリモス氏は言う。「嬉しい奇遇。私も大喜びです。あの時を生きた人、そのトラウマを抱えてきた人に道が与えられました。素晴らしい世界へのメッセージです」。
そして日本へも。
声を上げることを余りよしとしない文化にある日本は、まだまだ十分に広島・長崎の地獄を世界に知らせてはいない。それは単なる過去の出来事ではない。
永末アコ(ながすえ・あこ)
アーティスト/フリージャーナリスト。東京生まれ。1996年よりパリ在住。
セツモードセミナー在学中にフリーライターとして活動を始める。現在はパリ左岸に住み、フランスの社会、アートシーン、ライフスタイルなど、生のフランスを日本のメディアに向け取材執筆。光のオブジェ作家としてもフランスと日本で活動している。