Kenzo Takada ©Pearl Metalia - Thomas Hennocque (2)

 2020年10月、世界に名を馳せたKENZOの創業者で、ファッションデザイナーの高田賢三氏がフランスで逝去した。享年81歳。長年パリコレのトップデザイナーとして活躍し、フランス人のリスペクトを集めた高田賢三氏の功績は世界に名を馳せたどんな日本人にも勝るとも劣らないものだ。高田賢三氏の遺品を扱うオークションが始まるのを前に、フランスと世界に残した功績を振り返る。

(永末 アコ:在仏ジャーナリスト)

「フランスのイメージは?」と聞かれたら、多くの人が「アート、美食、ファッション」を挙げるのではないだろうか。それは単なるイメージではなく真っ赤な“事実”。煙立つ元に火が赤々と燃えている。

 フランス人はフランスのアートや美食、ファッションを評価し、誇りにしている。しかも、ただ放っておくのではなく、守り、価値をさらに高める努力を惜しまない。

 例えば国は、アートや美食、ファッションに対する補助金やコンクールの開催、援助などでそのイニシアチブをとる。人々はこれらに、お金を費やすというより人生の栄養、歓びとして日常的に触れる。

 アートや美食、ファッションに触れることは決してハイソサエティなことではない。その例を挙げ始めると長く切りがないが、毎朝誰もが目を通す日々の情報源である国民的大手新聞、フランスのフィガロ誌やルモンド誌のネット版にある毎日の記事やコラムが、日本の朝日や読売のそれとはまったく比べ物にならない数と内容の深さで人々を刺激し思考させ、愉しませていることからも明確だろう。現コロナ下では少し特別な様相をしているがそれは例外としても。

 とはいえアートと美食については、日本だって歴史的にも世界的にも誇れる独自なものを持っていると日本人は自負している。我が国が生んだアート(=芸術)と美食に触れる時、私たちは心身が心地よく高揚する。そしてアートや美食に携わるエキスパートたちを私たちは心から尊敬する。

 しかし、ファッションとなるとどうだろう。日本のファッションに対する価値観は、我が国のファッションデザイナーたちが生み出すそのクオリティーやセンスには値するものではないような気がする。

 日本ではファッションが、絵画や建築などと肩を並べる“学び”に値する気高い芸術文化の一片という位置付けにはないようだ。洋服が日本を起源にするものではないからか、ファッションとはうわべだけのものという既成概念か。「日本にはファッションデザイナーを生み出す国立の学院が存在していない」とフランス人は驚く。

 日本では「衣食住」と言って、最初に「衣」がくるほど、大切なものであるのに。人間が生まれてすぐ、必要なことは「衣」に包まれることだ。