(永末アコ:フランス在住ライター)
戦後の日本教育やニュースは米国よりで、旧ソ連は閉じられた冷たい国という印象を私たちは押し付けられていた。
「冷戦」「鉄のカーテン」という言葉の中で私たちは西側諸国に寄り添って、戦時に敵国だったはずの米国はキラキラとカラフルに、フランスは渋く光る憧れの国だった。
一方、旧ソ連のイメージといえば、巨大なコンクリの団地、そこではボルシチだけが生きているように湯気を立て、グレーのマントを羽織った寒そうな人々が雪の中を歩く、冷たく閉じた社会主義国だった。
30年前に私が初めて欧州を旅した時に搭乗したのはアエロフロートで、乗り継ぎでモスクワに1泊した。その時のレストラン、ホテル、人々に、私はそんな色彩のない旧ソ連を認めた。人々の笑顔を見ることもなかった。
しかし、それは押し付けられたイメージやレッテルを、そのまま見るものに反映させていただけだったと、ロシア人の友達を持ったことで感じている。
あの時、私は真実を見出そうとなど思わなかった、違う事実があるなんて思いもしなかった。ある意味で、私は日本から旧ソ連のイメージをすり込まれていたのだ。それはある一面でしかなかったのに。
確かに、あの時のロシア人たちは媚びがなく、目があっても微笑むでもなかったが、10代の私はロシア人全員に恋してしまうくらい、彼、彼女たちをカッコイイと思ったのだ。冷たそうとは思っても、不幸なかわいそうな人々などいう印象はなかった。
日本人は外国でこう言われることが多い。
「綺麗好きで礼儀正しく規則正しい。上の命令にきちんと従い、感情の起伏は少なく、近年まで天皇の言うことなら自分の命も差し出した」
これは事実かもしれない。しかし、事実だけしか見ていず、真実は見ていない。国同士の間ではこんなことがたくさんある。
このイメージに、日本人なら「そうではない―なぜなら―しかし」と一言付け足したくなるが、そんなことはどうでもいいのが世界の世間である。他国を本当に知ろうなんて努力は滅多にしない。戦争が起こってさえも。
今、私たちは本当にロシアを知ろうとしているか。単にどこかで読んだ数十行の記事や数分のビデオで、それがロシアだと思い込んで終えていないか。
パリは様々な国の人が集まっている。誰がどこの国の人かなど関係なく気が合えば友達だ。私にも、気がつけば親しい3人のロシア人とウクライナ人の友人がいる。この戦争が起こるまで出身国を意識することは少なかったが、今は避けられない話題だ。
そこで彼女たちが漏らす言葉は、メディアで語られていることや、私が知っていると思っていたロシアやウクライナとはまた違う。私はいつものような恋人や仕事の話を抜きにした、彼女たちのロシアとウクライナのインタビューをお願いした。三人三様のロシア、ウクライナの驚くような真実がそこにはあった。