(永末アコ:フランス在住ライター)
パリの真ん中に、あっと驚く姿でそびえ建つポンピドゥーセンター。赤、青、緑の極太チューブをまとい、ガラスで囲まれた透明なアートの館は、1977年のオープン当時のエネルギーと新鮮さをそのままに、今年で50歳を迎えた。
日本人を含めた世界からの観光客にとって、ポンピドゥーセンターはピカソやマチスやシャガールなどが勢ぞろいした、一度は行ってみたい巨大な近・現代美術館。所蔵作品は約12万点、常設展示以外にあるいくつもの広いギャラリーでは、話題のアーチストや知る人ぞ知るアーチストの期間限定特別展も、同時進行で休むことなく行われている。
しかし、観光客にはあまり知られていないが、正式名に“Centre national d’art et de culture”(国立アート・カルチャーセンター)とある通り、ポンピドゥーセンターには美術館以外にもすごい施設があれこれある。パリの人々は、このカルチャーセンターを日常的にエンジョイ、いや活用している。
例えば、 図書館、 映画館、子供のアトリエ、オープンイベント会場、音響音楽研究所。どれもが美術館のおまけではなく、広々とした空間が確保されている。その道のプロたちがディレクションしているため専門性は高く、イベントもたくさん。図書館や音響音楽研究所に至っては、美術館同様、国立の名を冠している。
カルチャーセンターとはいえ、「敷居が高い!」と思ったら大間違い。半分くらいはアクセス無料で誰でもが気軽にやってくる。すべての空間、イベントに共通しているのは太かろうが細かろうがアートの軸。そのアートの定義は誰もが自由に決めていい。全然考えなくてもノープロブレム。
アートという哲学と美の融合したものを、遊びごとのように溶解して私たちに提示し、時代の瞬間ごとに、人々に何を見せるべきか、何を経験してもらうかを前倒しに察知するポンピドゥーと、それについてくるパリの人々。それが50年来、変わらず続いているのだ。
現・近代アートならニューヨークのMOMA(ニューヨーク近代美術館)やロンドンのTATE(テート・ギャラリー)だって面白い!という皆さんには私も同感する。しかし、仏教の「心身一如」を信じるならば、この二つの外観とポンピドゥーのそれを比べると、ポンピドゥーには違った何かがあると思いませんか。
アートが気取らない場所であるポンピドゥーには、様々な人がやってくる。社会へのレジスタント、不良たち、哲学者、ファミリーや恋人たち、暇な学生、疲れたビジネスマン、そしてもちろんアートラバー。彼らが好き勝手にポンピドゥーを解釈し自分のものにする。
1階や地下階のオープンスペースではダンス、パフォーマンス、コンサートがひっきりなしで毎日がフェスティバル。上階の図書館でペンを噛んで勉学に集中していたインテリたちが、夜になると階下におり楽しく踊っていたりする。