今年11月、埼玉と北九州で19年ぶりに「May B」が上演される(写真:Hervé Deroo)

(林田 直樹:音楽ジャーナリスト)

 忘れもしない、1984年夏のことだった。

 当時学生だった私は、友人と連れ立って、富山県の利賀村で開催されていた国際演劇祭「利賀フェスティバル」に出かけた。

 演出家・鈴木忠志が率いる劇団SCOTを中心に、世界から最先端の演劇やダンスカンパニーが集まるこのパフォーミングアートの聖地は、演劇好きの若者たちに絶大な人気があった。

 1982年に創設されて以来、現在も続けられているが、今にして思えば、地方の町おこし・村おこしと連携した芸術文化系のイベントの先駆けでもあった。

 そこで最も衝撃を受けたのが、1981年に世界初演されたばかりのフランスの振付家マギー・マランによる「May B」(メイ・ビー)だった。

 この舞台で、重要な役割を果たしていた音楽の一つが、シューベルトである。

 まず歌曲集「冬の旅」からの1曲「辻音楽師」が流れ、やがて墓場から出てきたかのように、全身を白く塗りたくった、醜く汚いなりをした老人たちが登場する。

 彼らはうめき声を上げたり、キョロキョロあたりを見回したり、あちこちをポリポリ痒そうに掻いたり、さらには股間をまさぐり、性的な衝動をおおらかなまでに露わにする。

 それは決していやらしいものではなく、むしろ客席からは、ほのぼのとした笑いが沸き起こったほどである。一人だったら誰しもが部屋でそうしているに違いないような、ありのままの人間の恥ずかしいような姿を、率直に描いていたからだ。

 この白く汚れた一見不気味な人々は、最初はゾンビかと思われるが、そうではない。なぜなら彼らはハアハアと呼吸するから。痒いのも、性欲も、生きる人すべてに共通の現象である。ヤケに元気のいい「老人」たちなのだ。

 もしかしたら彼らは思ったよりも「老人」ではないのかもしれない。体型もお腹が出ていたり猫背だったりいろいろの「普通の人々」ともいえる。

 ところが、突如シューベルトの交響曲第4番ハ短調「悲劇的」の第1楽章が流れ出すと、雰囲気は一変する。それまで仲良く同じような動きをしていた彼らが、急に争い始め、暴力的になり、憎しみ合い、不信感に苛まれ、分断されていく。