カスティージャ・イ・レオンを代表するワイナリー『CAMBRICO』の畑に立つフェルナンドさん

わずかな雨に見舞われたのは、初日のサモラ到着からしばらくで、あとは文句なしの晴天に恵まれた日々だった。スポーツサンダルで過ごした足の甲を見れば、くっきりと“サンダル焼け”が刻まれている。旅が終わりに近づくと、いつも初めからやり直したいような気持ちになる。

一番遠いスペイン、最後の訪問地は、カスティージャ・イ・レオン最大の観光都市の一つ、サラマンカの周辺に広がるワインツーリズムルート、シエラ・デ・フランシアだ。

古きよき石畳の町を見守る300点の肖像画

またもワイン産地としては耳に馴染みのない土地で、この旅で何度目かの驚くべき光景に出会う。モガラスという小さな村では、家々の壁に肖像画が張り巡らされていた。その数、300点以上。村の歴史は古く、起源は中世までさかのぼり、家々は石と木で造られていた。道も石畳で、いかにもヨーロッパの古い田舎町という趣がある。ここにいったいなぜ、肖像画が飾られることになったのか。

モガラスの家々。町中、どこを歩いていても視線を感じる。

スペインの農村地帯が貧困にあえいだ1960年代、多くの住人が南米に出稼ぎのための移住せざるを得なくなったときに、ある写真家が人々の写真を撮影した。海外渡航のための身分証明書には写真が必要で、それを助けた形だ。2010年代、アーティストが手掛けたプロジェクトによって、写真をもとにした肖像画が、人々が暮らした家に飾られた。土地の歴史のモニュメントとしての、アート作品。

「町全体がミュージアムです」と案内されたけれど、私が思い出したのは、子供の頃、田舎の祖父母の家の仏間で見た、ご先祖様の白黒写真だ。今はなき人たちの肖像。たくさんの顔、視線。夜は一人で歩けない(恐い……)と思った気持ちをそっと心の中にしまい、同行者と賑やかに見学を楽しんだ。町並み自体は、とても美しかった。

広場のテーブルで井戸端会議に興じる町の人々。

給水所が至るところにあり、山の清冽な水があふれている。「BODEGA」の看板も多く見られ、家々でワインが仕込まれていたことがわかる。

「BODEGA」(ワインを販売する雑貨店)の看板も多くの家で見られる。

酒造りが根付く町で、古い家に暮らしながら数百年前の景観を保存しつつ、観光客を迎え入れる様子は、長野県にある奈良井宿(塩尻市の景観保存地区)にちょっと似ているな、と、スペインに来てまで木曽路に思いを馳せたりもした。

観光客も立ち寄りやすい、モガラスのワイナリー『La Zorra』。

山に置き去りにされたぶどう畑が産地復活の狼煙に

モガラスをはじめシエラ・デ・フランシアのワインルートを構成する村々は、高い山々に囲まれて孤立し、そのことで古来の文化・風習が守られてきた地域だ。ぶどう栽培の歴史は非常に古く、ローマ帝国時代にまで遡る。一帯の気候は、短い冬と長く乾燥した夏に特徴があり、畑はアラゴン川の渓谷の陽当たりのよい斜面に広がり、ぶどう栽培にとっての好条件を揃えている。が、農作業が困難な山岳地帯にあり、近代化の過程でワイン市場から取り残され、8割を超える土地で耕作が放棄されていた。産地の復興を掲げる意欲的な生産者が名乗りを上げたのは1990年代以降。その筆頭が、『CAMBRICO』のフェルナンド・マイジョさんだ。

地域の農業研究所と協働でルフェテの復活に努めるダンディなフェルナンドさん。

ビジャヌエバ・デル・コンデという村にある『CAMBRICO』は、自然公園として保護された地域の中にある山の中のワイナリー。フェルナンドさん自らが案内してくれた畑は、足下に気を付けないと谷底まで転がり落ちそうな傾斜地にあり、所々、下草がぼうぼうと生えていて、ぶどうと一緒にオリーブの木が植わっていたりとワイルドだ。

栽培品種は、固有品種のルフェテを筆頭に、ガルナッチャ・ティンタ(グルナッシュ)やテンプラニーリョが中心。フェルナンドさんを魅了し、ワイン造りの道へと誘ったのもルフェテで、ピノ・ノワールのような繊細さ、エレガントさを持ち、複雑で個性豊か。国際市場でも注目が高まりつつあるのだという。

自然に溶け込む蔵で醸される洗練されたワイン

『CAMBRICO』では、この旅イチのワイルドな畑の景観同様、ワイナリーの建築にも惹きつけられた。ぶどう畑よりはやや緩やかだが傾斜地にあり、外観は周囲の自然と完全に一体化している。

山の中に忽然と現れる『CAMBRICO』のワイナリー。

重力を利用した醸造と空調を使用しない貯蔵が可能なよう、醸造施設と貯蔵庫、ラボは地階に集約されていた。小規模ながら、機能的でグッドデザイン。1階はテイスティングルームで、フランシアの山々を望む広いテラスにテイスティング用のワインが用意されていた。

機能的に構成された醸造施設と熟成庫。右端のガラス張りの空間がラボになっている。

ワインは、旅の中で味わったどのワインとも違うタイプだった。サモラ『VINA VER』のワインは飾らない郷土料理が必要不可欠で、アリベスの『El Hato y el Garabato』や『BODEGA FRONTIO』のワインは、東京のナチュラルワインバーで楽しまれる様子がありありと想像できる。ならば『CAMBRICO』のワインは、ファインダイニングでサーヴされるべきワインといったところか。

右がルフェテ100%のビニャ・デル・カンブリコ、左がテンプラリーニョ主体の575ウバス。『CAMBRICO』のワインはDOPシエラ・デ・サラマンカの原産地呼称が認められている。

上質なぶどう由来の果実味と洗練を合わせ持つスタイル。スタイリッシュなソムリエと、薄く軽く繊細なワイングラスがよく似合う。わずか20年で、カスティージャ・イ・レオン州でも屈指のワイナリーといわれるまでになったというのも納得だ。

旅の終わり、サラマンカの旧市街地を巡る

シエラ・デ・フランシアでのワイナリー巡りの最後に、サラマンカの旧市街地を駆け足で回った。ローマ帝国、イスラム教徒の支配を経て、12世紀にレコンキスタ(国土回復)を果たした町には2000年の歴史・文化の集積があり、1988年にユネスコの世界遺産にも登録されている。旅の間、ガイド役を務めてくれたエステールは、サラマンカの出身。これまで訪れたどの場所よりも解説に力が入っていた。

大聖堂を中央にしたサラマンカのパノラマ

12世紀と16世紀に建てられた2つのカテドラル(大聖堂)は、町のシンボルで、旧大聖堂はロマネスク様式、新大聖堂はゴシック建築として完成し、ルネッサンス、バロックなどの要素を取り入れ18世紀まで改築が重ねられたそうだ。そもそも“新しいほう”が16世紀の建築というのだから、ヨーロッパの歴史的建造物には、本当に打ちのめされる。

トルメス川からみたサラマンカ大聖堂

イタリアのボローニャ大学、フランスのパリ大学やイギリスのオックスフォードと並ぶヨーロッパ最古の大学として12世紀に創設されたサラマンカ大学も有名。見学が可能で、家具も壁も16世紀当時のまま保存された教室や、図書館など、見どころは尽きない。

サラマンカ大学の見学用図書館。カテゴリー別に整理された膨大な書籍の最初に並ぶのはいつの時代も「聖書」。

一番遠いスペインへの、再訪を誓って

世界遺産を駆け足で回ってよいわけはなく、いつかサラマンカを目的地に旅をしなければと思った。実際、マドリードからは約2時間と好アクセスで、スペインでは治安の良さでも知られるサラマンカには、世界中から旅行者が訪れるのだという。

ワイナリーからワイナリーへ、大自然の中をひたすら(猛スピードのバスで)転々とした旅の終わり。久しぶりに自分の足で移動できる都市の散策に心が躍る。夏の始まりのマヨール広場周辺は、深夜まで賑やかだった。食事の後、カフェに出かけてテラスで一杯やる。そんな楽しみも旅の最後に味わった。

サラマンカのマヨール広場は、スペイン屈指の美しい広場として有名なのだとか。

さまざまな制限を強いられたコロナ禍を経て、3年ぶりの海外への旅が初めてのスペインで、しかも“一番遠い”スペイン、カスティージャ・イ・レオンでよかったと思う。自然や歴史的建造物の素晴らしさは言いだせばきりがないが、一番は、食やワインについて、根源的、本質的な何かに触れられたことが大きな収穫だった。

すべての食事とそこで供されるワインは、食い意地の張った私の胃袋を喜ばしく満たし、好奇心を刺激してくれた。次回、スペインへ旅をするなら、またカスティージャ・イ・レオンがいいと今は思う。同時に、同じくらい心揺さぶられる土地がほかにもあると確信している。

サラマンカの週末。広場で結婚式が行われていた。

取材協力:カスティージャ・イ・レオン州観光局・スペイン政府観光局