ベルリンの西部、シャルロッテンブルク宮殿の向かいに立つベルリン国立ベルクグリューン美術館。1996年に開館、2004年に現在の館名に改称した比較的新しい美術館だが、20世紀美術の上質なコレクションをもつ美術館として、美術ファンの間ですでにその名は広く浸透している。そんなベルクグリューン美術館が改修されることになり実現した「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」。滅多に貸し出されることがない“主役クラス”のコレクション97点を、まとめて鑑賞できる貴重な機会だ。

文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部

「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」展示風景

圧倒的な質を誇る個人コレクション

 世界で最も重要な個人コレクターの1人に数えられるハインツ・ベルクグリューン。1936年、ベルリンのユダヤ人家庭に生まれたハインツは、ナチス政権の迫害を逃れてアメリカに移住。カリフォルニア大学バークレー校で美術を学び、美術館勤務などを通して美術への造詣を深めていった。第二次世界大戦終結後はパリで画廊を経営。多くの画家と交流をもち、自らも作品の収集に励んだ。

 ハインツが特に好んだのが、パブロ・ピカソ、アンリ・マティス、パウル・クレー、アルベルト・ジャコメッティ。ハインツは「手に入るものなら何でも」というタイプではなく、自身が敬愛する少数の作家に絞って作品を購入した。そのため彼のコレクションには、ブレない一貫性と深い探求心が強く表れている。

「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」では、展覧会名通り、パブロ・ピカソが主軸になっている。今回来日したベルクグリューン美術館の所蔵品97点のうち、約半数がピカソの作品。しかも、その作品のクオリティがすこぶる高い。ピカソは時代ごとにめまぐるしく作風を変えた画家として知られているが、本展では「青の時代」から晩年まで各時代の代表作を鑑賞しながら、20世紀最大の芸術家の足跡をたどることができる。

 

「青の時代」「バラ色の時代」の人気作が来日

 ピカソの“各時代”を簡単に紹介するとともに、見逃せない作品を取り上げたいと思う。

 10歳で名門美術学校への入学を許可され、14歳で画家としてデビューしたピカソ。だが、祖国スペインは米西戦争に破れ、急速に国力を失っていった。街は敗残兵やホームレスであふれ、ピカソ自身も貧しい生活を余儀なくされた。さらにピカソの親友カサジェマスが自殺。ピカソの心は感傷的なブルーに包まれていった。

 そんな心境を反映するかのように、ピカソは20歳になった1901年から約3年間、キャンバス一面を青色で塗り込めるような作品ばかりを描いた。これが、いわゆる「青の時代」。画面からは深い悲しみや寂しさが伝わってくるが、それでいて、神々しいと言いたくなる美しさに満ちている。ピカソの各時代の中でも、とりわけ「青の時代」を好む愛好家は多い。

《ジャウメ・サバルテスの肖像》(1904年)は、「青の時代」後期の名品。旧い友人であるジャウメ・サバルテスをモデルにした作品で、青色で塗り込められた中に唇の赤が効いている。厳しい時代ではあるが、希望も見え始めている。そんなことを感じさせる一枚だ。

「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」展示風景。左から《ジャウメ・サバルテスの肖像》《座るアルルカン》と初期の作品が並ぶ

「青の時代」を引きずりながらもスペインを離れ、パリでアトリエを構えたピカソ。近くにはモディリアーニやジョルジュ・ブラックといった画家が暮らしており、刺激的な環境にピカソは前向きな姿勢を取り戻していった。

 1905年を中心にした1年強は「バラ色の時代」と呼ばれている。ピカソは当時流行していたサーカスに強く惹きつけられ、道化師や旅芸人の姿を情熱的なバラ色で描き上げた。《座るアルルカン》(1905年)は「バラ色の時代」の代表作の一つ。色調は確かに明るい。だが、なんとなく、「青の時代」に通じる寂しさが押し込められているようにも見える。故郷を離れた自分の寂しさを、定住の地をもたないアルルカンに重ねたのかもしれない。