中国書画や茶道具、琳派の絵画、陶磁器など、和漢の古典籍20万冊と東洋の古美術品6500件を所蔵する静嘉堂文庫美術館。コレクションのなかには『曜変天目』をはじめ、国宝7件、重要文化財84件が含まれている。1992年、世田谷区岡本に開館し、由緒正しき名品に出会えるとして多くのファンに愛されてきた静嘉堂文庫美術館。10月1日に丸の内に移転し、都心のアートスポットとして生まれ変わった。

文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部

「静嘉堂@丸の内」館内にあるホワイエ

知る人ぞ知る美術館から身近なアートスポットへ

 緑豊かな岡本静嘉堂緑地内に建ち、都会の喧騒を忘れてゆったりとした気分で過ごす。そんな世田谷時代も魅力的だったが、アクセスが格段によくなった今回の移転は、率直に「うれしい」。“知る人ぞ知る通好みの静嘉堂”が、ふらりと立ち寄れる身近な存在になったのだ。河野元昭館長も、「理想的な美術館は、作品の質と、鑑賞者の量が伴っていることが大切。丸の内という都心で、さらに多くの人々に関心をもってもらいたい」と述べている。

 移転に合わせて、静嘉堂文庫美術館は新たな愛称を掲げた。それが「静嘉堂@丸の内」だ。現代的でポップとも思えるこの愛称に、美術への間口を広げ、新たなアートファンを増やしていこうとする静嘉堂文庫の決意が表れているようだ。

 移転先となった丸の内は、実は静嘉堂文庫とゆかりが深い。1892(明治25)年に誕生した静嘉堂文庫は、三菱第二代社長・岩﨑彌之助と第四代社長・岩﨑小彌太の父子によって創設・拡充された私設コレクション。

 岩﨑彌之助は「日本にも近代国家としてロンドンのようなオフィス街が必要だ」と考えて丸の内の開発を推進した人物で、そのオフィス街のなかに静嘉堂文庫のミュージアムを作りたいと考えていた。当時は実現しなかったが、今回の移転によって130年の悲願がかなったといえるだろう。

館内には三菱第二代社長・岩﨑彌之助と第四代社長・岩﨑小彌太の銅像も

「静嘉堂@丸の内」が入るのは、1934 (昭和9)年に竣工した明治生命館。古典主義様式の傑作として知られ、1997 年には昭和時代の建造物として初めて国の重要文化財に指定された。意匠設計は東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授で、大阪市中央公会堂やニコライ堂修復などを手がけた岡田信一郎・岡田捷五郎兄弟。皇居のお堀に面して建つコリント様式の列柱が美しい。

 館内は天井から自然光が差し込むホワイエ(広場)を囲むように 4つの展示室が配された造り。展示室内に竣工当時のエレベーターが残されているなど、美術品だけでなく空間自体も見ごたえがある。