文=藤田令伊 

国宝 曜変天目(稲葉天目) 南宋時代(12-13世紀) (公財)静嘉堂蔵

世界に三点しかない逸品

 この連載も回を重ねて、ついに20回到達となった。まずはめでたい。これもひとえに読み支えてくださる読者諸氏あっての賜物で、厚く感謝申し上げる次第である。連載がさらに続けば、そのうちに何かもっといいことがあるかもしれない(?)。

 さて、記念の回では、逸品中の逸品を取り上げたいと思う。あなたは「曜変天目」という茶碗をご存じだろうか。中国・南宋時代に福建省の建窯という窯で焼かれたと考えられているもので、完成品としては世界にたった三点しか残っていないとされる。そんなウルトラ希少な茶碗が、驚くことに、すべて日本にあり、すべてが国宝に指定されている。今回はこれをご紹介したい。

 論より証拠、さっそく写真を見てもらいたい。どんな第一印象を抱くだろうか。茶碗の上から覗き込むと、漆黒の空間のなかに瑠璃色の宇宙が広がり、そこに星紋と呼ばれる星のような斑紋が見えてくる。

 しかも、その宇宙はただ瑠璃色に発色しているのみならず、見る角度によって鮮やかな色彩が交錯し、幻想的な戯れを惹き起こす。見れば見るほど夢幻の世界に引き込まれる神秘の茶碗——それが曜変天目なのである。

 

生産地の中国では評価されていなかった?

 天目茶碗はふつう窯で焼くと黒や褐色に発色する。ところが、何らかの条件が整ったとき、ごく稀にこのような美しい瑠璃色を生み出す。意図して出そうとしても容易に実現することのできないもので、人智を越えた自然の奇跡ともいうべきものなのだが、意外なことに、生産地の中国では必ずしも高く評価されていなかったとこれまでは考えられてきた。

 天目茶碗がこんな風に“変色”してしまうのは不吉なことが起こる前触れだとして、生じたらすぐに壊され、わずかに破棄を免れたものだけが日本に伝来したと見られてきたのである。

 しかし、2009年に全体の約4分の3を残す曜変天目が杭州の工事現場で発見された。杭州は南宋の都が置かれた地で、発見された場所はかつて迎賓館があったところだった。ということは、曜変天目が貴人ら最上級の人々のもてなしに用いられた可能性があり、じつは中国においても高く評価されていたのではないかと近年では考えられるようになりつつある。

 

「曜変天目」は再現できるのか?

 この曜変天目の魅力は時代を超越する。稀有な美に魅せられた何人もの陶芸家が曜変天目を現代に蘇らせようと悪戦苦闘しているのだ。その活動は尋常なものではなく、もはや「格闘」といっても過言ではない。

 ある陶芸家は親子二代にわたって曜変天目に取り組んでいる。はじめは曜変天目に没頭する父の姿に反発を覚えていたが、父の死をきっかけに再現研究を受け継ぎ、建窯に50回以上も通い、建窯の土80トンを日本へ運び込んで試行錯誤を繰り返している。

 また、ガス窯と電気窯を組み合わせたハイブリッド窯を自ら開発し、1年のうちに通常の10年分もの窯焼きを敢行して曜変天目の秘密に迫ろうとしている陶芸家もいる。

 あるいは、人間国宝に認定されながらも曜変天目再現に生涯を捧げた人もいる。ご当人にとって人間国宝として認められた技術は曜変天目を究めんがためのいわば副産物にすぎず、究極の目標はあくまでも曜変天目再現にあったという。

 鑑賞者だけではなく陶芸家たちをもこうまで惹きつけてやまないのもまた曜変天目の魔術的魅力ということだろう。

 ところで、近年、テレビの鑑定番組で「番組始まって以来、最大の発見!」と銘打ったリリースとともに曜変天目が出品されると話題になったことがあった。情報を耳にして、筆者も期待をもって見たところ、鑑定家の中島誠之助氏が「国宝の曜変天目と同じものに間違いない」として曜変天目に認定、2500万円の値がつけられた。

 ところが、それに待ったがかかった。長年にわたって曜変天目を研究してきた陶芸家や大学教授、研究者らから「曜変天目とは似ても似つかない」と鑑定結果に疑義の声が上がったのだ。そこで、所有者はある大学に科学的分析を依頼したが、明確な結論は得られなかった(その分析方法が杜撰だったという指摘もある)。

 つまり、科学的な根拠によって真贋論争に終止符を打つことはできなかったわけだが、私にいわせれば科学調査などするまでもないことであった。出品された茶碗はまさに「曜変天目とは似ても似つかない」というほかない代物だったからだ。

 たとえ、科学的分析によってその茶碗がほんとうに宋代に焼かれたものだと判明したとしても、曜変天目と同等の価値を見出すことなどできないのは一目瞭然であった。落ち着いて考えればわかることだが、科学的分析の結果と美術的価値はイコールで結ばれるものではない。私たちはもっと「人間の眼」あるいはさらにいえば「自分の眼」を信じたほうがよい。

 前回の聖林寺十一面観音の記事で触れたが、奈良の古寺に埋もれていた観音像の真価を見抜いたのはフェノロサという「人間の眼」であって、科学的分析ではない。科学の有用性を否定するものではもちろんないが、いまや科学を超えた人間的な捉え方が再び見直される時代になりつつある。そのことを私たちは自覚しておく必要があるだろう。

 ともあれ、いろいろ書いてきたが、曜変天目の真価に触れるには、やはり実物を見るに如くはない。現在、三菱一号館美術館で開催中の「三菱の至宝展」(~9/12)で展示されているので、事情の許す人はぜひ「自分の眼」で確かめてもらいたい。