文=藤田令伊 写真提供=小田原文化財団
オブジェや建物が展開する芸術庭園
今回は「江之浦測候所」というところを取り上げたい。
というと、「測候所? それがどうしてアートなの?」と疑問を抱かれるかもしれない。だが、いまここはホットなアートスポットとして注目されている。
江之浦測候所が立地するのは小田原と熱海のあいだ、相模湾に面した山の斜面。もとは湘南の温暖な気候を利用したミカン山だった場所である(いまでもミカンの木が多く残っている)。斜面がけっこう急なため、海からさほど離れていないにもかかわらずかなりの高度があり、ということは、見晴らしが抜群となっている。
測候所といっても観測機器が備えつけられているとかではない。広大な敷地のそこここに、さまざまなオブジェや建物が展開する、いってみれば芸術庭園である。訪れた者は心の赴くままに庭園内を散策し、さまざまに感じ、考え、浸ることができる(順路はとくに定められていない)。一般的な美術館やギャラリーとは異なるかたちのアートなわけだ。
江之浦測候所をつくったのは現代美術作家の杉本博司氏。2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の題字を書いた人物である。杉本氏は設立趣意を次のように述べている。
「アートは人類の精神史において、その時代時代の人間の意識の最先端を提示し続けてきた。(中略)今、時代は成長の臨界点に至り、アートはその表現すべき対象を見失ってしまった。私達に出来る事、それはもう一度人類意識の発生現場に立ち戻って、意識のよってたつ由来を反芻してみる事ではないだろうか」(江之浦測候所ガイドブックより)
自然や世界を改めて「測候」することにより、原点に立ち返って、私たちの生きる意味や目的を再確認しようというのが江之浦測候所なのである。そういう意味からすれば、外界を「測候」するだけではなく、自らを「測候」する場所ともいえるだろう。
元ミカン山の測候所内にはいくつかの施設といえばいいのか、建築がある。そのなかでひときわ大きく眼を惹くのが「夏至光遥拝100メートルギャラリー」と「冬至光遥拝隧道」だ。どちらも定規で引いた線のような一直線状の装置で、それぞれある方角を指してつくられている。
夏至光遥拝100メートルギャラリーは夏至の朝に太陽が昇る方角、冬至光遥拝隧道は冬至の朝に太陽が昇る方角である。二つの建物は重なるようにしてつくられているため、重なった部分の角度はそのまま夏と冬の“ズレ”を示すことになる。宇宙の摂理が可視化されているのである。
驚くのは夏至と冬至とではこんなにも太陽の位置が変わるのか、ということ。知識としては知っていることではあるが、実際の違いを目の当たりにすると、思ったよりはるかに大きいその差異に目からウロコの思いがする。地球と太陽が織りなす自然の営みについて、いかに現代人は疎くなってしまっているかを再認識させられる。
庭園内を散策してみる。山の斜面をそのまま活かしているので、上ったり下ったりが多い。足元をしっかり気をつけて歩くという行為も、ふだんの生活のなかでは縁遠くなってしまっている気がする。見事な景色を背景に建てられている社があるのでそこを目指すが、まっすぐ最短距離で行くことはできない。思わぬ方向へ曲がったりする道をたどり、思わぬ方向からアプローチすることになる。何やら、人生の縮図を体験しているような気になる。
歩く場所も竹林あり、ミカン畑ありとバラエティに富んでいる。目を上げれば相模湾が雄大に広がっている。海からの風が肌に感じられ、木々のなかからは鳥たちのさえずりが聞こえてくる。山、海、風、鳥・・・いま自分が自然とともに居ることが再確認される。
あるいは、石とガラスからできたものが多いことにも気づかされる。ストーンサークルのような石造物は太古から存在したことが知られているが、ここにもそれに類するものが点在している。他方、「光学硝子舞台」のような洗練されたガラス製の作品もある。
ガラスの原料はケイ酸塩鉱物、つまりは石である。すなわち、石とガラスは表面的な姿こそ違え、中身は同じであり、ガラスは人間が時間をかけて発達させてきたテクノロジーによって石が生まれ変わったものなのだ。したがって、ガラスは石の末裔、石はガラスの祖先という見方もできる。石とガラスの出合いとは、時間を超越した祖先と末裔の邂逅、原初と文明の邂逅ということになる。
といったことをつらつら考えながら歩くうちに、ふだんは置き忘れていた幾多のものが想起させられることに思い至る。それは自然であり時間であり、地球であり宇宙である。もっと大きな概念でくくってしまえば「神」という言い方もできるかもしれない。
鑑賞者によって受けとめる内容は違うだろうが、見方によって、感じ方によって、大いなる刺激を享受できる場所には違いない。あなたなら、どんな刺激を覚えるだろうか。