文=藤田令伊
ひと筋縄ではいかない人生
LGBTQがいわれる昨今だが、美術の世界では、かつては圧倒的に男性優位という動かしがたいジェンダー格差があった。そのため、芸術の道を目指した女性たちは、男なら経験しなくても済んだ辛酸を舐めさせられた。女性が芸術家として生きていくのは、男性以上の、よほどの決意と覚悟がなければ叶うことではなかったのだ。
今回ご紹介する三岸節子もそうした苦難の道を歩んだ一人である。彼女の人生は、とても一筋縄にはいかない。
節子が生まれたのは織物工場を経営する裕福な家だった。しかし先天性股関節脱臼を抱え、親から疎ましがられることもあったという。15歳のときに実家の工場が倒産し、単身での上京を決意。画家を志すようになり、反対する親を説き伏せ、女子美術学校に入学。その在学中に若き天才画家と評されていた三岸好太郎と出会う。巣鴨の小さな家で母親と妹と身を寄せ合うような貧乏暮らしをしながら絵を描き続ける好太郎に節子は芸術家のひとつの理想像を見たように思い、強く惹かれる。
やがて節子は好太郎の子どもを身ごもる。そして結婚。だが、それは節子にとって必ずしも幸せを意味するものではなかった。
天才肌の好太郎は“画家の肥やし”として結婚後も奔放な女性関係を続ける一方、節子は、好太郎とのあいだにできた三人の子の子育てのみならず、同居していた義母や義妹の看病も強いられ、事実上、一家を支える大黒柱の役割に縛りつけられた。お嬢様育ちの節子にとって苦労はいかばかりであったろうか。だが、何よりも辛かったのは絵を描く時間がないことだった。この生活ぶりについて、節子は後年、日々血みどろの戦いだったと語っている。
不幸が重なる。日頃の不摂生がたたってか、好太郎が旅先で死去してしまったのだ。わずか10年ほどの結婚生活。節子に残されたのは、好太郎がアトリエを新築するためにつくった莫大な借金であった。
しかし、節子の心は折れなかった。寸暇を見出しては絵を描き、発表し続ける。それは節子にとっては逆境と対峙する闘争以外の何ものでもなかった。闘いの甲斐あって、節子は画家として頭角を現していく。その後も男社会の画壇という壁に阻まれたりするが、節子の絵画芸術を求める魂が挫けることはなかった。
結局、94歳でこの世を去るまで、節子は絵筆を持ち続けた。節子の人生については、到底このような小文では語り得ない。
弱冠はたちには見えない《自画像》
さて、この絵は節子20歳のときの《自画像》である。節子はこの絵で春陽会展初入選を果たし、画壇にデビューしている。絵のなかの節子は真正面から鑑賞者と向き合っている。その眼はまるで射すくめるかのような凄みを湛え、弱冠はたちの女性とは思えない「圧」で見る者に迫る。
上気立っているのか頬は紅潮している。表情は、若い女性のステレオタイプとは無縁で、一種のふてぶてしさが漂い、肚の底に何かを据えたような揺るぎのない信念を感じさせる。この節子なればこそ、のちの苦難を乗り切れたのであろうとも、あるいは、のちの苦難を予見して覚悟を決めた顔とも見える。ちなみに、この絵を描いたとき、節子は好太郎の子を身に宿していた。
人生を通してひとかたならぬ苦悩に直面した節子だったが、それを超克得さしめたのは「絵を描くこと」だった。絵を描くためなら、絵を描くことができるなら、と、どんな苦労にも潰れることはなかった。極言すれば、絵があったればこそ生きることができた人間だった。これぞまさしく「画家」というべきである。
あなたにはそれほど、「心底打ち込む」ことのできるものがあるだろうか。それさえあれば、ほかには何もなくていい、いい切れるものがあるだろうか。そういうものがあるのとないのとでは、人生はどれほど違ってくるのだろうか。本作は、そういうものがある人間の顔を表したものと見ることもできる。それがこの絵の「圧」の源泉なのだろう。ぜひ一度、ご自分の眼で確かめていただきたい。
絵の背景を知ることの功罪
ところで、本作は何の予備知識もなしに見ただけでも、一度見たら忘れられないインパクトを覚える作品だと思うが、絵の背景にこうした激越なるドラマがあったことを知ると、絵の意味合いがまた違って見えてくるのも事実だろう。
あるいは、直接的な背景を知らなくても、制作当時の社会事情や人間関係等を知っていれば、やはり見え方が変わってくるということはあり得る。つまり、私たちが何らかの知識を持っているかどうかで、アート鑑賞の内容が変わってくることがあるのである。
知識を持つことには功罪両面がある。知ることによって知らなければわからなかったことが感得できるようになる反面、知ることで鑑賞が知識の枠に制約されてしまう場合もある。私たちはそのことを念頭に置いて、知識を得、活用していくよう心掛ける必要がある。
そのうえで、「作品のうしろにあるもの」とともに作品を味わうとき、さらに深く、広い鑑賞があなたに訪れることだろう。