イスラエル出身の巨匠が手がけたアート
奈良県宇陀市の山の中に「すごいアート」があることを果たしてどれくらいの人が知っているだろうか。「室生山上公園芸術の森」という。女人高野として名高い室生寺の近くになる。名前を聞いただけでは「なんだ、よくありそうなところじゃないか」と思うかもしれないが、ここをつくったのがダニ・カラヴァンとなると話は違ってくる。
ダニ・カラヴァンはイスラエル出身の環境造形作家である。1930年テルアビブ生まれ。世界各地でその地の環境や歴史と結びついた大規模な作品を制作することで知られる。日本では札幌芸術の森や霧島アートの森などでもカラヴァンの作品を見ることができる。
しかし、室生のものが札幌や鹿児島のものと違っているのは、スケールの破格さである。全長1km弱、総面積7.8haにも及ぶ広大な敷地の随所に、カラヴァンによるさまざまな“仕掛け”が展開するのだ。全体で一つの作品と見なすこともできる。カラヴァンは、当地の歴史的、文化的、神話的背景を踏まえて、訪れた者にさまざまな問いを発する。
日本古来の謎に由来した“仕掛け”
南側の入り口を入り、ビジターセンターを見ながら道なりに進んでいくと第一の池に出る。池には「鳥のための島」「ピラミッドの島」「ステージの島」の三つの島が浮かんでいる。三つの島は一つの軸線上に位置しており、カラヴァンの意図的な配置がうかがわれる。
第一の池からさらに進んでいくと棚田を再現したエリアがあり、そこを抜けると第二の池が出現する。どちらかというと自然の形状を活かした第一の池に対し、第二の池は円形という幾何学的な形態をしている。自然に対する人間の叡智ということだろうか。
第二の池の真ん中には「太陽の島」がある。島には大小の円環を積み重ねた形体の「天文の塔」が立ち、池の円と呼応している。そして、島を貫通するように一筋の道が設けられている。
この道は「太陽の道」と呼ばれている。太陽の道は、カラヴァンのオリジナルではない。紀伊半島を横切る北緯34度32分の線上には、卑弥呼の墓ではないかとも推察されている箸墓古墳や、元伊勢という名の土地にある檜原神社、万葉集にもうたわれている長谷寺、そして伊勢の斎宮跡といった古代からの歴史拠点がなぜか一直線に並んでいる。
そのことを写真家の小川光三氏が1970年代に見出し、名づけたのが太陽の道で、室生の地のまさにこの場所も貫いている。カラヴァンは、この日本古来の謎めいた符号に注目し、自己の作品を通して可視化してくれているのである。
太陽の道に立つと、ついつい、見えるはずのない緯度線を見ようと空を見上げてしまう。もちろん、緯度線が見えるはずなどないのだが、かといって、その行為に意味がないわけではないと私は思う。目には見えないけれど、いにしえからの不思議な関係性を意識することで、現代を生きる私たちにも古代人の神秘的な心性の一端に触れられる気がするのだ。
あるいは、緯度線という天文学的概念に想いを馳せるとき、太陽の運行や銀河の回転といった宇宙的秩序にまで自ずと思惟が広がる。すると世界の見え方が違ってくる。カラヴァンの“仕掛け”は、そのように、そうと意識して初めて感知できることを呼び覚まし、気づかなければ素通りしてしまうもの、私たちが置き忘れてしまいがちなものに鋭くブックマークを刻印する。
日本書紀には「そらみつ大和の国」という文言があり、「そらみつ」が「大和」の枕詞になっている。「そらみつ」とは「空見つ」のことで、おそらくは「空から見た」という意味だろうと考えられている。意外にも大和は空と関係が深いのだ。カラヴァンはそれも含意していたのかもしれない。
室生山上公園芸術の森には、ほかにも「螺旋の水路」「螺旋の竹林」「波形の土盛」といった数々の“仕掛け”があり、訪れた者は心ときめかせつつ散策し、カラヴァンとの対話を楽しむことになる。ここでの鑑賞は、一般的なアートとはかなり異なり、ただ見るのではなく、全身で体験し、さまざまな刺激を受けて、ときに驚嘆し、ときに黙考するものとなる。もはや「アート作品」という言い方では括れないのかもしれない。
日本の歴史や自然とイスラエル人の発想や感性が接合してかたちづくられた室生山上公園芸術の森。残念ながら、まだまだ知名度が高いとはいえず、穴場的な場所になっている感が否定できない。筆者がここを知っているのも、筆者が奈良県出身だからという理由に負うところが大きい。 全国各地のアートスポットが大勢の来訪者で賑わっていることを思えば、ここがそうなってもまったくおかしくないはずである。奈良県出身の人間としては身贔屓のそしりを蒙ってもひときわ宣伝しておきたいところなのである。