取材・文=中野香織

人々の心を解きほぐす作り手のあたたかな視線

 かつて日本一の繊維の街として栄えた愛知県蒲郡市が、大量生産の海外製品に市場を奪われ、絶滅寸前の崖っぷちに立たされていた。しかし、この街には古から伝わる「綿の神話」がいまも確かに息づいている。ドキュメンタリー映画『わたのまち、応答セヨ』は、瀬戸際にある繊維の街と、それぞれの役割を果たすべく奮闘する人々が、奇跡としか思えない幸福を手にするまでの物語を描く。

 撮影が始まる当初、スクリーンに現れる人々は不安や戸惑い、懐疑心、諦めにも似た感情に支配されており、冷え込んだ空気が伝わってくる。実際、2000年ごろに安価な中国製品が大量流入したことで国産繊維は衰退の一途をたどり、蒲郡市もその煽りを受けていた。後継者が見当たらないまま、このまま終わるしかないのではと諦念を抱いていた者も少なくなかったのである。

 ところが、撮り手である監督の揺るがぬあたたかい視線が、じわじわと人々の心を解きほぐしていく。カメラの存在が彼らに目的意識を与える。同時に、伝えることには大きな力があるという事実を証明していく。撮る者と撮られる者の相互作用は鏡のように働き、そこに火がついた情熱が、新たな挑戦へと背中を押す。まさにドキュメンタリーの本質が、ここにある。

 登場人物の中でも、とりわけ印象深いのは、この道60年というキャリアを誇るテキスタイルデザイナー・鈴木敏泰(当時80歳)である。妻とともに織物に生涯を捧げ、アートの域にまで高めた作品を世に送り出してきたものの、時代の荒波と後継者不足に苦しんでいた。そんな鈴木氏が、当初は監督に対して懐疑の目を向けていたにもかかわらず、「このままでは終わりたくない」「君たちが本気なら、ぼくも本気を出す」と強い意志を示し始める。1200年前に日本で初めて綿の種が持ち込まれたという蒲郡の神話に希望を託して、最後の勝負に打って出るその姿は、気高く迫力に満ちた凄みを感じさせる。

 ほかにも、多彩なキーパーソンが登場する。三河木綿復刻プロジェクトを牽引する石川雅祥、表参道で三河木綿を販売するファッションデザイナーの小田順子、ロンドンと日本を結ぶコスチュームデザイナーのタニ・クミコ、そして地元企業の若手として奮闘する岡田理沙――それぞれが独自の資質と情熱を持ち寄り、各々にふさわしい形で課題に立ち向かう姿は多層的なドラマを生む。その中でも、Tokyo Girls Collectionで発表する作品作りを通じて覚醒し、自分の街の繊維を世界へと堂々と発信していく岡田氏の変貌には、人間の成長を目のあたりにする感動がある。

「過去の原点にこそ、未来を切り開く鍵がある」。これは作中の人々が一様に抱く確信である。蒲郡市には江戸時代からの三河木綿の見本帳が遺されており、その資料をもとに復刻した生地をロンドンに持ち込んだことで、予期せぬ出会いがもたらされる。そこに至るまでの過程を見守ってきた観客にとって、号泣必至の展開だ。まるで「綿の神」が人々を導き、空と空をつなぎ合わせるような奇跡的瞬間が訪れる。ドキュメンタリーならではの醍醐味である。

 さらに注目すべきは、綿という素材に備わる循環思想である。「使って使って使い古し、最後は土に還す」。自然の恵みを人間の技術と知恵で紡ぎ、愛着を持って使い込み、やがて大地へ返す。このサイクルは持続可能な社会の理想に通じるものであり、日本に古くから根づいていた価値観を再認識させる。

 もっとも、本作が単なる過去の遺産礼賛に終わらないのは、鈴木夫妻をはじめとする人々の「新たなチャレンジ」に焦点が当たるからである。彼らが生み出した全く新しい三河木綿を、「よく生まれてきてくれたなあ。さあ、ロンドンへ行ってこい」と送り出す一幕には、伝統を未来へとつなぐための確かな覚悟と希望が凝縮されている。

『わたのまち、応答セヨ』は、一度没落の瀬戸際に追い込まれた繊維の街が、伝統と革新を融合することで新たな未来を掴もうと格闘する人々を描いた作品である。撮り手と撮られ手が共鳴しあい、まるで奇跡を呼び込むように生まれたこのドキュメンタリーは、熱く尊い力で心を揺さぶってくる。綿の神話に導かれ、過去・未来、そして蒲郡とロンドンが融け合う奇跡に、ぜひ立ち会ってほしい。