取材・文・撮影(表記以外)=中野香織
見た目の「新しさ」を前面に演出しない世界
紳士服のスタンダードを定めてきたロンドン、サヴィル・ロウ一番地の「ギーヴズ&ホークス」の2023年秋冬コレクションには、相変わらず、バリエーションが極端に少ない。5年前と、それほど変わっていないようにも見える。スーツスタイルのアイコンでもあるチャールズ国王にいたっては、10年前にも見た気がする既製服につぎはぎまで当てて、同じものを着ている。
ファッション界は久々に登場した大きなトレンド、「クワイエット・ラグジュアリー」で盛り上がっているが、それを言うならクラシックなイギリスのスーツ界はボー・ブランメルが君臨した19世紀初頭から「クワイエット・ラグジュアリー」を淡々と貫いている。
メンズスーツの世界は、見た目の「新しさ」をことさら前面に演出しない。トレンドに左右されないインテグリティ(一貫性のある高潔さ、誠実さ)を重視するからだ。とはいえ、スーツを着る人の中身は、常に時代の変化に応じてアップデートされていてほしい。アップデートができている人が着る「変わらぬ」スーツスタイルが与える信頼感こそ、最強である。
さて、ギーヴズ&ホークスの「変わらぬ新作」を見てそんな感慨を抱いたのは、東京・南青山にあるヴァルカナイズ・ロンドンで行われた2023年秋冬メンズファッションの展示会であった。
出席者のなかに、チャールズ国王の皇太子時代に8年間、側近として働いた経験をもつ男性がいた。ターンブル&アッサーやハケット・ロンドン、そしてグルナディア・ガーズ(近衛兵)の制服といったトラディショナルなイギリス服を背景に彼が語る紳士論が、本物を知る人ならではの説得力があるのでここに紹介したい。
スーツを着る私たちの心構えを新たにしてくれるだけでなく、2023年夏を席巻した「君たちはどう生きるか?」という問いの答えを考えるためのヒントまで得られるかもしれない。
インテグリティと「自分がどうありたいか」という問題
——イギリス紳士が、人に対しても事業に対しても、もっとも大切にするというインテグリティは、どのように身につけ、表現できるものなのでしょう?
「若い時に考え抜いたことが基盤になります。目の前のことに流され続けて修復不能になり、最後にちぐはぐになるよりは、首尾一貫した哲学をもっているほうがずっといいでしょう? イギリスのジェントルマンはいくつか譲れないピンを持ったうえであとは自由に振舞うというようなインテグリティを大切にしますね」
——その姿勢は、装いにおいても見られますか?
「そうですね、決まった型やルールが一応ありますが、その中で自由に遊びます。ピアノの鍵盤が無限にあったらこれほど豊饒に音楽は生まれてなかったはずです。88の鍵盤と白と黒。その決まりの中で自由に遊ぶからイノベーションが生まれるのです。決まったルールがあるから守れというのではなく、その人にインテグリティさえあれば、自由に外していいのです。おしゃれというのは自分を曲げてまで人からどう見られるかを気にすることではありません。自分がどうありたいかという問題です」
——日本の男性は細かいルールを徹底的に「正しく」遵守しようとする傾向があるように見受けられますが、裏返せば、それは「自分がどうありたいかという問題」に対する自信のなさの表れなのかもしれませんね。考え抜いた一貫したポリシーがあれば、逆に些細な部分は「外して」いても、かえって人として強く見えることがあります。ルール破りもごくごく自然にやってのけるということがよいのでしょうね。