ダンスパーティーでものおじせず、船が沈む瞬間にも頼りになる人間
「ええ、自然さはすべての場面で求められます。たとえば、王室の公式行事では秘書官がつき、一日を取り仕切るわけですが、その際に、分刻みの警察のセキュリティやゲストの行動が書かれた何十ページにもわたる資料が渡されます。ところが、当日になると、皇太子が着いた瞬間にあとは忘れろ、と言われます。自然さの方が大事なので、あとは主体的に判断して行動せよ、ということです」
——うわあ、日本だとマニュアルから少しでも外れると叱責されそうです(笑)。その場その場で主体的に判断して行動できるということも、インテグリティが大前提になっていますね。一瞬の判断は身体の細胞までしみ込んだ思想で左右されるように思います。
「一瞬の判断と言えば、イギリス発のスポーツ、ラグビーもそんな風にして生まれていますよ。ラグビーはイギリス紳士の養成機関であるパブリックスクールのひとつ、ラグビー校で生まれたことはご存じですよね?」
——はい、フットボール(サッカー)の試合中に、ウェブ・エリスがボールを持って走り出したのがラグビーの起源とされていますね。
「彼はルールを破ったのだと思われがちですが、そうではないのです。明文化されていないルールの狭間を突いたのです。『地面のボールを手で拾ってはいけない』とは書いてあるのですが、「誰かが蹴ったボールに手で触れてはいけない」とは書いてない。この隙間を突いたのです。英語で、Fine Disregard(美しく無視する)と言いますが、イノベーションってこのようにして起きるんです。そういうことが考えられる主体性があることが大事じゃないですか?」
——そんな主体性はどのようにして育てることができるのでしょう?
「たとえば私のイギリスの友人は、美術館にいくと、『どれが好き?』『どれをベッドルームに飾りたい?』と子供に徹底的に聞きます。そういう目線で絵を見始めると、自分の感情と矛盾しない善悪や美しさの定義が語れるようになります。それが服装はじめ、いろんなことの基軸になるのです」
——日本では服を買うときに「どれが売れていますか?」と聞く方が多いようですが(笑)。軍隊式の「右に倣え」教育の賜物でしょうか。
「自分の感情と、善悪や美しさのロジックがつながると、どんなシチュエーションでも素敵な、インテグリティのある人間になれます。ダンスパーティーでものおじせず、船が沈む瞬間にも頼りになる人間に」
どのような瞬間にも主体的に判断して美しい行動に移せるインテグリティのある人間。こんな理想像を描きつつ、感情と行動の基準がまっすぐに結びつくように、日々、感情に意識的に向き合って「自分の選択」を積み重ねていくことで中身をアップデートしていきたい。イギリス紳士の人間観に基づくユニークな対話を通して、そんな風に思わされた。
同時に、イギリス紳士服のステイタスがかくも不動である理由にも、あらためて思いが及ぶ。服が高品質だから威信も高い、というわけではない。品質は当然の前提である。服を着る人が、感覚と直結した主体的な価値判断をすることができるから服のステイタスも高くなるのである。
そんな価値判断ができる人は、結局、多くの場面で、ルールメイキングの主導権を握ることになる。模倣すべきは表層のきまりごとではなく、ルールを作った人の心の姿勢ですね。