取材・文=中野香織
「衣服の最終到達点を見たい」
中里唯馬は、パリのオートクチュール・コレクションに日本から唯一参加するファッションブランドYUIMA NAKAZATOのデザイナーである。坂本龍一がショー音楽を提供し、ボストン・バレエやジュネーブ大劇場から衣裳制作の依頼を受けるなど、世界の一流アーティストから厚い信頼を得ている。
2008年にベルギーのアントワープ王立芸術アカデミーを卒業し、翌年に自身のブランドを設立して以来、彼は最先端を突き進んでいる。先端的テクノロジーと職人技を融合させた前衛的なファッションを探求し続けているだけではない。ファッションを通した社会課題解決に取り組み続けているのだ。2021年に自らが発起人となって創設した次世代クリエイター支援プログラム「FASHION FRONTIER PROGRAM」もそのひとつである。気候変動、人種差別、経済格差などの社会課題に取り組むデザイナーを発掘・育成している。
ファッションと社会の未来を見据えるそんな中里が、「衣服の最終到達点を見たい」とケニアに行く。「衣服の墓場」にもなっているケニアの旅で、中里は多くのインスピレーションと「素材」を得て、日本発の新素材や実験的テクノロジーを組み合わせ、未来を創る一つの可能性としてのコレクションを2023年のパリ・オートクチュールで披露する。その舞台裏に完全密着したドキュメンタリー映画が、「燃えるドレスを紡いで」である。
なぜこんなに服があるのか?
中里が目にして立ちつくす「衣服の墓場」の光景は、服を着る人間としての私たちも直視する責任がある。腐敗臭が漂い、自然発火による炎や煙が立ち、そこで死んでもごみに紛れてわからないような地獄の光景。これを生んでいるのは、「先進国」で不要とされた衣類である。
誰も欲しがらないおびただしい量の衣類はごみの巨大な山を形成し、環境汚染を引き起こし、海洋の生態系を脅かし、気候変動をもたらしている。ケニアでは干ばつが年々悪化し、水不足で家畜が命を落としている。マイクロプラスチックは魚に食べられ、食物連鎖を巡り巡って人間に健康被害をもたらす。大量の輸入衣料はケニアの繊維産業発展の妨げにもなっている。
なぜこんなに服があるのか? ファッション産業がより多い利益を求めるからである。生産効率と販売見込みを最大化するように設計していくと過剰在庫が生まれる。生産された服の75%は着られないまま廃棄される。ファストファッションもハイブランドも変わらない。利益を上げ続けなければならない高度資本主義がこのまま続けば、環境への負荷は今以上に大きくなる。
「もう服を作らないで」と訴えたくなるのはケニアの人ばかりではないだろう。だが、ファッションデザイナー、とりわけパリ・オートクチュールコレクションで作品を発表するデザイナーは、そういうわけにもいかない。悪循環を断ち切り、環境負荷をできるだけ小さくしながら、「新しい」ファッションを提案すること。この課題に立ち向かい、人と地球が調和するデザインを提示するのが中里のミッションである。
ケニアからもちかえった「素材」は、一見ごみに見える。いらないと思われたものがごみになる。中里は、無価値なものを、高級オートクチュールファッションの素材へ転換するという挑戦をする。このプロジェクトを支えるのは、セイコーエプソンの新型デジタル捺染機や、スパイバーが開発するバイオ繊維「ブリュードプロテイン」など、環境負荷を抑える革新的な日本のテクノロジーである。
創作し、パリで発表するまでの過程においても、予想外の試練に見舞われる。しかし、いかなるピンチが訪れても中里はパニックに陥らず、他人を責めたりもせず、今できることを静かに進めていく。この成熟したものごとへの対処のしかたに、彼が各界から信頼を受ける大きな理由のひとつを見る思いがする。
ファッションを通じて社会にインパクトを与え、人と衣服と地球が調和する未来を築くという彼の情熱と革新的なアプローチを、多くの方にご覧いただきたい。中里の創造の旅は困難でありながら、ごみの山にも美しさを見出し、民族服に衣服の起源を見出して喜び、常に希望や可能性を追求する彼の姿勢は、ファッション愛に満ち、どこか求道僧のような純粋さを感じさせる。創造に携わるすべての方に、瑞々しいインスピレーションを与えてくれるだろう。