文=藤田令伊
公立美術館のお手本的存在
山梨県立美術館は、全国の公立美術館のなかでも「お手本」とされているミュージアムである。手本になることができた理由はいろいろあるだろうが、ひとつには“目玉”をつくることに成功した点が挙げられよう。ここの“目玉”はミレーの《種をまく人》である。
バルビゾン派の画家ジャン=フランソワ・ミレーの芸術を日本でも紹介したいという強い情熱のもと、《種をまく人》の購入が決定されたのが1977年。当時は1枚の絵に多額の公的資金(最終的な落札額は約1億円)を投ずるというのは批判の声があったそうだが、あとから振り返れば英断で、78年の開館から3年足らずで入館者数が100万人を超え、その後全国から視察が引きも切らない「ミレーの美術館」になった。
美術館にとってはいかに“目玉”の存在が大きいかを示す好例といえるが、とはいえ、何も“目玉”ばかりがすべてではない。今回はあえて《種をまく人》ではなく、《ポーリーヌ・V・オノの肖像》という一枚に注目したい。名作の周辺に名作あり、はお約束である。
モナ・リザを連想させる姿
一人の女性が描かれている絵である。女性といってもまだ少女の面影を残しており、世間ずれしていない純朴な感じが伝わってくる。なで肩の細身、何かを訴えているのだろうか、うるんだ瞳でこちらを見つめている。右手にはショールのようなものを持っていて、左手をその下に隠している。服装は黒一色で飾り気というものがない。そして、この女性、ポーリーヌの姿はモナ・リザを連想させるものがある。
えもいわれないのがポーリーヌの表情である。いま、彼女がどういう心持ちでいるか、あなたはひと言で言い表すことができるだろうか。たとえば、彼女は幸福なのかどうか。
そのことだけでも、にわかには判然としない。文句なしに幸せという感じではなさそうだけれども、かといって不幸のどん底に沈んでいるとも見えない。幸とも不幸とも容易には見定めきれない、曖昧でやや哀愁を帯びたニュアンスが浮遊している。かろうじて確かなのは、ポーリーヌが健気に生きようとしているらしいことで、それが本作の強い訴求力の源になっている。
ミレーの最初の妻
ポーリーヌはミレーの最初の妻となった人で、ミレーが少年時代に画家修業をしたシェルブールの仕立て屋の娘だった。本作は二人が結婚してまもなく描かれた。新生活に向けての期待と不安が入り交じった微妙な心情にあるようで、ミレーも決してそれを飾ることなく、ありのままに描いている。世の波にもまれつつ、ひっそりと身を寄せ合うように暮らしている若い二人の小さな所帯のありさまが想像されてくる。
だが、ポーリーヌとミレーの結婚生活は長くは続かなかった。結婚してわずか3年後、ポーリーヌは22歳の若さでこの世を去った。結核だった。ポーリーヌの生前、ミレーの絵が売れに売れてということは絶えてなく、結局、ポーリーヌは貧乏暮らしを強いられたままの生涯だった。そのあたり、クロード・モネの最初の妻カミーユの事情とダブるものがあるが、ポーリーヌが薄幸に終わったことがいっそう見る者の哀れを誘う。
この絵と初めて出会ったとき、私はかなりの時間見入っていたように思う。ポーリーヌの佇まいと表情にハッとさせられるものを覚えて足が止まり、釘付けとまでいっては大げさかもしれないが、とにかく素通りにはできない何かを感じたのだ。
絵のなかのポーリーヌはどこまでも寡黙なのに、じっくりと見れば見るほど、いろんな思いを湧き立たせた。お金がなくて苦しいのだろうかとか、それでもミレーを信じてどこまでもついていこうとしているのかなど、さまざまなことが想像されてくるのだった。
あとで上記のようなさらなる背景事情を知り、ますます本作の印象は深いものとなった。「薄幸」を地で行ったポーリーヌの人生ではあったが、せめて精神的には多少なりとも幸せを感じてくれていたことを祈るような気持ちになった。
ところで、人はシンパシーを抱く対象に対しては深く詮索しがちな傾向がある。そして、対象が置かれている状況に即し、知らず知らずのうちにも、その対象の身になって世界を見ようとする。すると、第三者的に見ていただけでは見えなかったことが見えてくるようになる。それがいわゆる「感情移入」の力である。感情移入は、対象についての理解を深め、世界観の共有を促してくれるのである。
この感情移入の作用をアート鑑賞にも応用すれば、作品から汲み取れるものはグッと豊かになる。すべての作品に適用する必要はないだろうが、気に入った作品や気になる作品が出てきたら、せいぜいどっぷりと感情移入することである。そうすれば、きっと、ただ見ていたときとは次元の異なる鑑賞体験がもたらされることだろう。