文=藤田令伊
世界に誇る日本のアート
本来はアートではないけれど、日本が世界に誇るアートに仏像があると常々思っている。日本の仏像は古来すぐれたものが数多くあり、彫刻としてのクオリティは世界水準にあるといってよい。もっとも、上には上があって、古代ギリシアには紀元前2世紀にすでにミロのヴィーナスなんてスーパースターがあったから驚きだが、それでも日本の仏像も決してひけをとっていない。
その日本の仏像のなかに聖林寺十一面観音というものがあるのをご存じだろうか。760年代につくられたと推定されており、奈良県桜井市の聖林寺に御座す。私事になるが、私の実家にほど近く、そのため一方的に親近感を抱いている仏さまでもある。
といっても、本連載で取り上げるのは決して身贔屓のゆえではない。聖林寺の十一面観音は、数ある観音像のなかでも特別な存在といって過言ではなく、いわば観音のなかの観音、“The 観音”とでもいうべき逸品なのだ。本像が日本初の国宝に指定されたのも当然といえば当然である。
アーネスト・フェノロサによって救出
だが、この観音像の真価を見出したのは残念ながら日本人ではない。明治時代、日本の仏像は大きな危機に瀕していた。神道の国教化を企図した明治新政府は神仏分離令を発し、それまでの神仏習合の状態を改めることとした。神仏分離令は必ずしも仏教を排除するものではなかったが、勢い余って人々は仏教経典を焼き、仏像を破壊した。いわゆる廃仏毀釈である。
奈良の仏もこの時期に相当多くが失われた。そんなとき、一人の外国人が聖林寺を訪れた。アーネスト・フェノロサだった。フェノロサは十一面観音をひと目見るや、その傑出した価値を見抜き、「日本第一保存の像」と位置づけた。
やがてフェノロサの努力は古社寺保存法という法律に結実し、「国宝」という概念が生み出された。そして、のちの国宝指定の最初のひとつとなったのが、この十一面観音なのである。フェノロサの「日本第一保存の像」の願いは叶ったのだった。
「世の中にこんな美しいものがあるのか」
さて、この仏像のすごい点は、単に “きれいな仏” にとどまらないところにある。この仏さまと静かに向き合うと、見る者は不思議な感覚を覚える。堂々と立っているのだけれど、どこか慎ましやかな雰囲気もあるし、力強そうなのに、慈悲深さも感じられる。
あるいは、ふくよかな顔立ちなのに、すらっとした印象もあるし、若者の溌剌とした感じもあれば、年を経た者だけが持つ奥深さも伝わってくる。どっしりと男性的な肩に対して女性的な腰のくびれ。そして、全体的には威厳とやさしさの双方が漂う。
つまり、聖林寺十一面観音にはアンビバレントなあらゆる要素が一身にそなわっているのだ。本来は矛盾するはずのもの同士が玄妙なバランスで共存しており、これはひとつの奇跡とまでいっては大げさだろうか。全国の十一面観音を訪ねて歩いた白洲正子が「世の中にこんな美しいものがあるのか」(白洲正子『十一面観音巡礼』)とまで語ったのも納得できようというものである。
厄災から人々を救済する願いを込めて
十一面観音がつくられた時代、奈良の都は厄災に襲われ続けていた。天候不良で凶作となったり、大地震に襲われたり、はては疫病の流行で人口の三割までもが死亡したと考えられている。十一面観音は、そんなさまざまな厄災から人々を救済し、なんとか苦境を脱する願いを込めて造立された。
そんな来歴を念頭に置くと、新型コロナウイルスに苦しめられている現在の私たちにもおのずと響くものがあろう。聖林寺十一面観音の光背は、その多くは失われたが、植物の葉やつるをかたどった珍しいつくりになっている。植物が素材にされたのは、薬草の意味が含められたからだという説がある。まさにいま拝むにふさわしい仏ではないか。
科学や医学が発達した今日に神頼み、仏頼みはアナクロかもしれないが、それでもこの御仏の前で仏の放つ慈悲の光に包まれるひととき、私たちは束の間の安寧を取り戻すことができるように思う。
特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ」で公開
聖林寺十一面観音は、このたび初めて奈良の地を離れる。この夏、東京国立博物館で開かれる特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ」で公開されるためだ。コロナ禍のなかなのでアクセスしづらい面があるが、「これだけは絶対に見に行く」といっている、私と同じ奈良出身で東京在住の知人がいる。
21世紀の現代においても、私たちにそれほどの想いを掻き立てさせる仏なのだ。事情が許せば、ぜひ一度、ご尊顔を拝してはいかがだろうか。
聖林寺
住所:奈良県桜井市下692
電話番号:0744-43-0005
拝観時間:9:00~16:30