文=藤田令伊 写真提供=大塚国際美術館
日本にある「空想美術館」
かつて、アンドレ・マルローは、世界中のあらゆる芸術品の複製図版を一堂に集めたら、居ながらにして世界の名品を鑑賞することができる「空想美術館」になるというアイデアを提案した。
マルローが生きたのは写真がまだヨチヨチ歩きをしていた時代で、マルローは写真というきわめて精度の高い複製力を持つ新しい技術に触発されて空想美術館を思いついたわけだが、独自の陶板技術でモナ・リザからピカソまで世界の名作の精密複製を集大成する大塚国際美術館は、まさにマルローの空想美術館のリアル版である。
大塚国際美術館はすでによく知られているといっていいだろう。あるアンケートでは「行ってみたい美術館」の第1位に選ばれたこともあり、そういう意味からすれば「知られざるすごいアート」とはいえないのだが、その大塚国際美術館のなかで案外知られていない場所があるのである。今回はそこに注目したい。
展示作品は1000点以上
さて、大塚国際美術館のギャラリーは地下3階から地上2階までの5フロアにわたって展開している。展示作品数は1000点にも上る大ボリュームを誇り、鑑賞ルートをすべて辿るとじつに4キロメートルもの長さになるというから驚きだ。小ぶりな美術館の多い日本では稀なほどの巨大ミュージアムである。
だが、スケールの大きさはよいことばかりとは限らない。ルーヴルやオルセーなどとも通じる話だが、かなりの気合を入れて臨んでも、最後のほうになると、どうしても疲れてきてしまうのだ。疲れてくれば見方が粗くなり、場合によっては途中で切り上げてしまうということもあるだろう。結果、ルートの最後のほうにある作品は鑑賞されにくいことになる。
多くの人は下のほうの階から見ていくと思われ、最上階となる地上2階は実際、他のエリアに比べて人の姿が少ない。つまり、気づかれにくい。かくして、来館者に「案外知られていない場所」が生じうるのである
その「案外知られていない場所」にあって、しかし見逃したくないのがレンブラントの自画像の部屋である。ご存じの通り、17世紀オランダの画家レンブラントは自画像の巨匠としても知られている。画業人生のほぼ全期間にわたって自画像を描き続けた特異な経歴の持ち主で、彼の自画像の総数たるや50点とも100点ともいわれる。
そんな数多あるレンブラントの自画像のなかから選りすぐりの名品が取り集められた部屋なのである。
レンブラントの自画像の部屋
この部屋にはレンブラントの自画像が10点余り展示されている。若き日のものから最晩年のものまでが揃っており、レンブラントがどのように変遷していったか一目瞭然できわめて興味深い。
若い頃の自画像は顔に意欲がみなぎっており、これから画家としての大成を目指したレンブラントの心意気のほどが伝わってくる。
壮年期はやはり自信に満ちている風情である。見るからに人生を謳歌しており、わが世の春をまったく疑っていない。そして最晩年のものはといえば、とても同じ人物とは思えないほどの変わりようなのである。もしあなたが見たら、どれがいいと思うだろうか?
ちなみに、私個人は最晩年の《ゼウクシスとしての自画像》にもっとも心惹かれる。これに描かれているのは、最盛期に贅沢の限りを尽くした人間とはとても思われない、見すぼらしい哀れな老人の姿である。しかも、自虐的にも見える笑いが浮かんでいる。
思わず「これがあのレンブラントか・・・」という慨嘆が湧き上がってくるのだが、その哀れさゆえになおさら心に沁みてくるものがあるのだ。人間の深奥を直視し、自らをさらけ出して描いたレンブラントの真骨頂を見る思いがする。
とまあ、このような展示は、残念ながら実物では叶いようがない。「空想美術館」ならではの可能性といえる。そして、日本のわれわれにとっては、これが常設展示でいつ行っても見ることができるというのは、思えばごく幸せなことであろう。
ついでに。やはり案外見逃されがちな他の展示にも言及しておくと、レンブラントより1世紀半ほど前のオランダの先輩画家ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》という作品がある。実物はスペインのプラド美術館に所蔵されているが、この絵にはトビラが付いていて、プラドでは常にトビラが開いた状態で展示されている。
しかし、じつはトビラの外側にも意味深な絵が描かれてあり、大塚国際美術館ではそれをも見てもらうためにトビラが自動的に開閉する仕組みになっている。だが、そのことを知らずに足早に通り過ぎていく人が多く、いつももったいないなぁと思うのだ。
巨大ミュージアムなので細かく重箱の隅をつつくような鑑賞はむずかしいかもしれないが、重箱の隅にこそ見応えがあったりするのである。