あるワイナリーの当主が、腕をいっぱいに伸ばして畑の奥を指さし「“むこう”はポルトガルだ」と言った。アリべス・デル・ドゥエロ自然公園内のワイン生産者を訪ねたときのことだ。“地続きの異国”に、なぜか心惹かれてしまうのは、自分が日本でしか生活したことがないからだ。

この旅で巡った3つのワイン産地の中で、個人的にもっとも印象に残ったのが、ポルトガル国境に近いアリベスだった。アリベスは、ティエラ・デル・ビノ・デ・サモラ同様、2007年に認定された比較的新しいDOだ。

アリべスの典型的なぶどう畑の風景。株仕立ての低木が特徴。

アリベスを特別に感じた理由はいくつかある。一つは、この地に特有の畑の景観だ。乾いた土の真っ平な畑に、株仕立てのぶどう樹が点々と植えられている様子は、これまで見たどのぶどう畑とも違う、とても新鮮なものとして目に映った。

地下に広がる「1000のワイナリーの町」

もう一つ、フェルモセジェという町で「1000のワイナリーの町」と呼ばれる、地下に造られたワイナリーの遺構を訪ねたのが、それが迫力満点だった。

この小さな入口の先に、深く広い地下ワールドが広がっている。

陽射しが照りつける6月の昼下がり、深くに掘られた穴の中に造られた醸造施設へ降りていくと、急に冷やっとした空気に包まれる。

洞穴につくられたワイナリー。閉所恐怖症の人は覚悟がいる場所。

石造りのアーチや柱など、趣向が凝らされていて、古いプレス機のわきには、球状の大きなガラス瓶がごろごろと転がっている。収穫したぶどうとワインを守る、町の下に造られたもう一つの町。ちろん見学用に照明があるのだが、あまりに深く、広く、暗くじめじめして、ちょっとぞわっとしたほどだ。現代のような機械や道具がない時代に、こんな大がかりな設備を造ることや、ここでワインを造ることがどれほど大変だったかを思うと、この土地の人々にとってワインという飲み物がどんなものであったかが想像できる。

そしてアリベスでの何よりの収穫は、ナチュラルなワイン造りに取り組む若い生産者に出会えたことだ。『El Hato y el Garabato』の畑でワインをテイスティングしたとき、スペインに来て初めて「これ、いつも飲んでいるワインだ」と、静かな感動に包まれた。

左端は、樹齢80年以上のぶどうだけを使用したフラッグシップの赤ワイン「シン・ブランカ」、右端が赤の「ブエナ・ヘラ」ほか。

ここ数年、日本国内でももっぱらイタリアと、フランスのナチュラルワインと呼ばれるワインばかりを飲んでいるが、それらと同じ線上にある、果実の健全さが感じられて、滋味豊かな味。いつまでも飲んでいたくなる飲み心地のよさが感じ取れた。

80年を超える土着品種の古木から、自然なワインを。

『El Hato y el Garabato』は、ぶどう栽培からワイン醸造まですべてを自社で行う家族経営のワイナリーだ。当主でワインメーカーのホセさんと、パートナーのリリアナさんは、ともに環境科学などの研究者を経て、カリフォルニア、オーストラリアのワイナリーで働いた後、ホセさんの祖父の代からの飛び地の8ヘクタールの畑を引き継ぎ、ワイナリーを設立した。

『El Hato y el Garabato』のホセさん、リリアナさん夫妻。

ぶどうは、樹齢80年を超える古木が中心で、黒ぶどうも白ぶどうも一緒に植えられている。地を這うような低木は、この地に特有の仕立てによるもので、景観はとてもユニークだ。

品種は、この地を代表する黒ぶどう品種、フアン・ガルシアをはじめ、ブルニャル、ルフェテなど、土着品種が中心。

畑の後に、ワイナリーも訪ねた。母屋の周りに醸造施設と、家畜小屋があり、動物と暮らしながらぶどうを育てるのが、この辺りの典型的な家の造りであり、クラシックなライフスタイルだそうだ。石造りの家は農家から引き継いだ古いものだが、室内はインテリア雑誌に出てきそうな素敵さ。夫妻のインテリジェンスとセンスがにじみ出ている。醸造設備や貯蔵庫は、本当にミニマム。

熟成庫。一部赤ワインの熟成にはフレンチオークを使用している。

「常に場所が不足している」と、ホセさんはボヤいていた。畑で除草剤や化学肥料を使用しないのはもちろん、醸造においても人的な介入を最小限に、というのは、各国のナチュラルワインの生産者が口を揃える内容に同じだ。

スペインのナチュラルワインのフロンティア。

この先、特にナチュラルワインの世界において、アリべスが注目産地になっていくであろうと予感させる造り手にも出会った。ホセさん、リリアナさんが、「新しい仲間を紹介する」と、案内してくれた『BODEGA FRONTIO』のジェンセンさんだ。

デンマーク人の元投資家。元々、ワイン好きで、各国のワインを飲み、産地を訪問するうちに、人生をワインに捧げてしまった人だ。コペンハーゲンから移住し、ワイナリーを開設したのは2016年。

“ジーザス”こと、ジェンセンさん。さまざまな産地を見て回り、アリベスに拠点を構えた。

「毎日ワインのことを考えられる。最高の仕事だよ」と、話す。初めの自己紹介で「仲間には“ジーザス”と呼ばれている」とジェンセンさん。ヒゲをたっぷりとたくわえ、Tシャツに短パン、キャップという風貌は、なるほど、今回の旅で出会った生産者でも唯一、という異色キャラだ。土着品種をブレンドしてつくるワインは、赤も白もとてもピュアな味わいだった。生まれ変わりつつある産地の新しい風、旗手のように思えた。

『BODEGA FRONTIO』の醸造施設。発酵は基本、ステンレスタンクで行う。

アリベス・デル・ドゥエロ一帯は、ぶどう栽培、ワイン醸造は古くから人々の暮らしに根付いているが、ワインが産業化されてこなかった歴史がある。長い年月の間、一度も化学農薬や除草剤が使われていない土壌は、健全で、原野に限りなく近い。この地は「今が歴史的転換期。驚くべきポテンシャルと可能性を秘めている」と、話すホセさん、リリアナさんは言う。今後、ホセさん夫妻やジェンセンさんのような造り手が増え、ナチュラルワインの産地として世界から注目されるようになるのではないかという気がした。

死ぬまでに見るべき絶景

翌日、リリアナさんが短いツアーを組んで、アリべス・デル・ドゥエロ自然公園の見どころを案内してくれた。アリべスきっての絶景ポイントといわれるミラドール・デ・ラス・バランカスから見る渓谷は、スケール感がおかしくなるほどの雄大さで、目で見たままの情景が思うようにカメラに収まらず悪戦苦闘した。

ミラドール・デ・ラス・バランカスからの眺め。写真撮影が困難を極めた。

そこから国境を超えてポルトガルに入り、ミランダ・デ・ドゥエロという町からドゥエロ川一帯の生態系を学ぶクルーズ船にも乗った。

ドゥエロ川のクルーズ船。テンション低めで挑み、結果、大いにはしゃいだ。

ツアーはイヤホンガイド付きで、カワウソなどの野生動物から、鷹や鷲、コウノトリ、川鵜などの野鳥、鰻やマスなどの川魚にいたるまで、ドゥエロ川とその沿岸の自然に生息する生物の紹介が、次々に耳に流れて来る。多種多様なミジンコの解説も。緩やかなカーブを曲がるたびに新たに現れる岸壁の巨大さにおののきながら、頭の中は肉眼では見えない微生物の話と忙しい。何もかもに圧倒され続け、説明する言葉が追い付かない。美しきアリべス・デル・ドゥエロの大自然と、国境近くで見たドゥエロ川を「死ぬまでにもう一度見たい絶景」にリストアップした。

クルーズ船上からの写真。自然の造形が素晴らしい。
 

取材協力:カスティージャ・イ・レオン州観光局・スペイン政府観光局