今回は、大河ドラマ『光る君へ』で、上地雄輔が演じる藤原道綱を取り上げたい。

文=鷹橋 忍 

京都御所 写真=hana_sanpo_michi/イメージマート

よろづの兄君

 藤原道綱は、天暦9年(955)に生まれた。

 段田安則が演じた父・藤原兼家が、数えで27歳の時の子である。

 歴史物語『大鏡』第四巻「太政大臣兼家」では、道綱を兼家の次男としている。

 母は、財前直見が演じた藤原倫寧の娘(ドラマでは藤原寧子)。

『蜻蛉日記』の著者として知られるが、名は伝わっておらず、「道綱母」などと称される。

柳々居辰斎画 藤原道綱母

 兼家の正妻は、藤原道長や、井浦新が演じた藤原道隆、玉置玲央が演じた藤原道兼、吉田羊が演じた藤原詮子らを産んだ、三石琴乃が演じた時姫だった。

 道綱母は、兼家が気の向いた時に通ってくるという不安定な立場である。

「三十日、三十夜はわがもとに」と道綱母は願ったが、兼家の足が途絶えがちであった。

『蜻蛉日記』には、4歳の道綱が、父・兼家の「今来んよ(またすぐ来るよ)」を真に受け、心待ちにして、口まねしたことが綴られている(校注・現代語訳 川瀬一馬『蜻蛉日記 上』)。

 道綱は康保3年(966)生まれの異母弟・道長よりも11歳年長で、歴史物語『栄花物語』では、「よろづの兄君」と呼称されている。

 

父・兼家と同じ年齢で同じ地位に

 寛和2年(986)、兼家の外孫である懐仁親王が7歳で即位し、一条天皇が誕生。兼家は一条天皇の摂政となった。

 兼家は摂関の地位を長男の道隆に譲り、永祚2年(990)にこの世を去った。

 長徳元年(995)4月に関白藤原道隆、5月に関白を継いだ藤原道兼も相次いで死去し、道長が内覧となって政権の座に就いた。

 道長は権力基盤を盤石とするため、翌長徳2年(996)から長徳3年(997)にかけ、縁故を中心とする人事を行っている。

 その一つが道綱の登用だという。

 長徳2年に起きた「長徳の変」により、4月24日の除目で、三浦翔平が演じた内大臣藤原伊周と竜星涼が演じた中納言藤原隆家の兄弟が左遷となり、道綱は中納言に昇進する。

 同年12月には、右大将に就任した。道綱42歳の時のことである。

 亡父・兼家も、42歳の時、中納言兼右大将であった。

 道綱は奇しくも、亡父と同じ年で、同じ地位に就いたことになる。道長の粋な計らいだったのかもしれない(以上、『信州豊南女子短期大学紀要』第8巻所収 川田康幸『『栄花物語』における藤原道綱像:その叙述の特色』)。