「大臣にしてくれ」と道長に頼んだ?

 寛仁2年(1018)10月に姸子が皇太后となると、道綱も皇太后宮大夫に転じた。

 寛仁3年(1019)6月、宮川一朗太が演じる藤原顕光が左大臣を辞するとの噂が流れた。

『小右記』寛仁3年6月15日条によれば、道綱は道長に、「兼家の一族の長兄である私に、1、2ヶ月で良いので、大臣の座を貸してくれ」と懇願した。

 それを耳にした実資は、「一文不通(無学無才)の人が大臣の座を望むなんて、ありえない」と綴っている。

 だが、道綱は大臣になれなかった。

 なぜなら、噂に反して顕光は左大臣を辞さず、道綱も翌寛仁4年(1020)10月15日に66歳で没したからだ。

 大臣にはなれなかったが、大納言まで昇り、大きく破綻することなく、生き抜いた。

 ドラマの道綱ならきっと、悪くない人生だったと、笑顔で言うのではないだろうか。