文=鷹橋 忍 写真=フォトライブラリー
大河ドラマ『どうする家康』も最終回を迎えため、この連載も今回が最終回となる。
最後は、ドラマでも注目を集めた板垣李光人が演じた井伊直政、山田裕貴が演じた本多忠勝、松山ケンイチが演じた本多正信の、子や子孫たちをご紹介したい。
【井伊直政】「大老の家」となる
直政の子どもたち
井伊直政は関ケ原の合戦での功績により、近江国佐和山(滋賀県彦根市)十五万石が与えられ、上野国の三万石と合わせて十八万石を領したが、合戦から二年後の慶長7年(1602)に、42歳の若さで没した。
江戸幕府が編纂した武家諸家の系譜集『寛政重修諸家譜』によれば、直政には、二男二女の子がいた。
長女は家康の四男・東条松平忠吉(森崎ウィンが演じた徳川秀忠の同母弟)に、次女は宇和島伊達藩初代藩主・伊達秀宗(伊達政宗の庶長子)に、それぞれ嫁いでいる。
長女と次女の母は、直政の正妻・松平忠次(康親)の娘である。
対して、二人の男子は母が違う。
長男の井伊直継(のちに直勝と改名 ここでは直継で統一)の母は、長女と次女と同じく、直政の正妻・松平忠次(康親)の娘。
次男の井伊直孝の母は、「印具氏」と『寛政重修諸家譜』には記されている。
直継と直孝はどちらも天正18年(1590)生まれで、直継が嫡子であった。
父・直政が亡くなったとき、直継も直孝も、数えで13歳だった。
大老の家へ
直政の跡を継いで当主となったのは、直政の嫡子・井伊直継だった。
だが、直継が多病のため、家康の意向により、当主は直継の異母弟・井伊直孝に交代することとなる。
直政の遺領のうち、直孝が近江国十五万石の領主となり、直継は上野国安中(群馬県安中市)三万石を与えられ、別家の祖となった。
直孝は、徳川秀忠、家光、家綱の三代に仕え、のちの「大老」(老中の上に立つ、幕府の最高職)と同様の役割を、果たしたといわれる。
直孝はその功績により3回加増され、幕府領の預かり分も含め、近江彦根藩35万石となった。
その後、井伊家は井伊直弼などの大老を輩出した「大老の家」となり、一度も転封することなく、明治維新を迎えている。