文=鷹橋 忍 写真=フォトライブラリー(表記以外)

本多忠勝像と岡崎城 写真=アフロ

徳川四天王の一人・本多忠勝

 早いもので今年も半年が過ぎ、大河ドラマ『どうする家康』も、後半に突入した。いわゆる「徳川四天王」も出揃い、それぞれの個性を発揮している。

 徳川四天王とは、大森南朋演じる酒井忠次、山田裕貴演じる本多忠勝、杉野遥亮演じる榊原康政、板垣李光人演じる井伊直政の4人を指す。

 そこで今回は四天王のなかから、本多忠勝を取り上げたい。

 鹿角脇立に黒糸威胴丸具足、名槍「蜻蛉切」がトレードマークの本多忠勝とは、どのような人物で、これからどんな人生を歩むのだろうか。

 

父親と2歳で死別

 本多忠勝は天文17年(1548)、三河国で生まれた(『新訂 寛政重修諸家譜』第11)。

 ドラマでよく行動を共にしている榊原康政と同年の生まれで、天文11年(1542)生まれの家康より、6歳年下だ。

 父親は、西蔵前城(愛知県岡崎市)の城主・本多忠高。母親は、松平信忠(家康の曾祖父)の家臣・植村氏義の娘である。

 本多氏は早くから松平氏(徳川)に被官していた。

 忠勝の祖父・本多忠豊も松平清康(家康の祖父)に仕え、天文14年(1545)の合戦で、松平広忠(家康の父)の身代わりになって討死。

 忠勝の父・本多忠高は松平広忠に仕えたが、忠豊の死から4年後の天文18年(1549)の合戦で、やはり討死している。

 忠高、数えで22歳。忠勝、2歳のときのことである。おそらく忠勝は、父の顔すら記憶にないだろう。

 幼くして父を失った忠勝は、波岡一喜が演じた叔父の本多忠真に、引き取られたようである(桑名市博物館『本多忠勝と桑名』)。