文=鷹橋 忍 写真=フォトライブラリー
「悪女」ともいわれる築山殿
大河ドラマ『どうする家康』の放送が開始されてから、1ヶ月以上経った。
主演の松本潤演じる徳川家康をはじめ、岡田准一演じる織田信長や、北川景子演じるお市の方など、魅力的な人物が多く登場しているが、有村架純が演じる瀬名(築山殿 以下、築山殿と表記)も、その一人だろう。
そこで今回は築山殿の生涯と、そのゆかりの地をご紹介したい。
一般に「悪女」ともいわれる築山殿は、どのような生涯を送るのだろうか。
家康より年上だった?
築山殿は、渡部篤郎が演じる今川家御一家衆(今川家一門)の関口氏純の娘である。
名の由来は、のちに夫・家康の岡崎帰還を受けて岡崎に居を移した際に、「築山」という場所で暮らしたからだという。
『どうする家康』をはじめ、ドラマや小説などでは「瀬名」と称されることが多いが、実名は定かでない。
生年も不明だ。黒田基樹氏は、天文11年(1542)生まれの徳川家康より2つくらい年上か、同年齢であったと推測している(黒田基樹『家康の正妻 築山殿』)。
結婚は何歳のとき?
築山殿と家康は、いつ頃、結婚したのだろうか。
結婚の時期も明確ではない。弘治2年(1556)説と弘治3年(1557)説が存在し、弘治2年説が有力のようだ。
弘治2年だったとすると、家康は15歳(数え年 以下同)、先述の黒田基樹氏の推測だと築山殿は15~17歳ぐらいでの結婚となる。
家康は、今川家御一家衆である築山殿と結婚したことにより、今川氏の一門に準じる「親類衆」となった。
築山殿は家康の間には、二人の子どもが生まれている。
一人は結婚から2年、あるいは3年後の永禄2年(1559)に誕生した、細田佳央太(幼少期は寺嶋眞)が演じる、嫡男の松平信康(幼名 竹千代。ここでは信康で統一)。
もう一人は、通説では永禄3年(1560)生まれの、當真あみが演じる亀姫である。
築山殿と家康とその子どもたちは駿府を生活の基盤としていたが、それは永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにより、大きく変化する。
桶狭間の戦い」で、野村萬斎が演じた今川義元が岡田准一演じる織田信長に討たれると、家康は故郷で本拠の三河国岡崎(愛知県岡崎市)に戻ったからだ。
築山殿らも岡崎に居を移すことになる。