文=鷹橋 忍
源頼朝の挙兵のきっかけを作った?
毎回辛い展開が続く大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のなかで、横田栄司演じる和田義盛や、瀬戸康史演じるトキューサこと北条時房と並んで、癒やしを与えてくれているのが、小林隆演じる三善康信である。なお、法名の「善信」で知られるが、ここでは康信では統一する。
三善康信はこの先、どのような活躍をし、どのような最期を迎えるのだろうか。
まずはドラマの復習を兼ねて、その出自からたどってみたい。
三善康信は、栗原英雄演じる大江広元と同様に、鎌倉幕府の文士である。「京下りの官人」とも称される。
康信は保延6年(1140)、家業が算道(算術)である三善氏の庶流に生まれた。系譜は不明だ。
23歳の時に文書作成を担う「右少史」に任じられるなど、朝廷の官人としての活動が見られるが、出世は伸び悩んでいた。
母親は、源頼朝の乳母の妹である。その縁で、伊豆に配流になっていた頼朝に、月に3回も使者を送り、京都の情勢を知らせていた。頼朝には何人も乳母がいたが、乳母の一族でここまで尽くしたのは康信だけだという(細川重男『頼朝の武士団』)。
治承4年(1180)5月に、打倒平氏を企てた木村昴が演じた以仁王と品川徹が演じた源頼政が滅びると、康信は翌6月に、以仁王の令旨を受け取った諸国の源氏の追討が命じられたことを、頼朝に知らせている。
だが、松平健が演じた平清盛が指示したのは、源頼政の残党の追補であった。おそらく康信は、これを全国の源氏の討伐と誤解したとみられている(呉座勇一『頼朝と義時』)。
ところが、これ契機に頼朝は挙兵に踏み切り、鎌倉に武士政権を樹立したのだった。