文=鷹橋 忍
時房の容姿と立ち振る舞いは抜群だった?
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第30回「全成の確立」は、新納慎也演じる阿野全成が非業の死を遂げる悲しい回であったが、そんななかで、瀬戸康史演じる北条時房が改名を報告する場面での「トキューサ」のテロップは、笑いを誘った。
今回は、そのトキューサこと、北条時房を取り上げたい。
初代連署として知られる時房は、どのような人生を送るのだろうか。
時房は安元元年(1175)に、北条時政の三男として誕生した。母親は大野泰広演じる足立遠元の娘か、もしくは北条政子や義時と同じく伊東祐親の娘だという(坂井孝一『考証 鎌倉殿をめぐる人々』)。
兄の北条義時よりも一回り年下で、坂口健太郎演じる甥の北条泰時より、8歳年上である。
時房が、幕府の公的な歴史書『吾妻鏡』に初めて登場するのは、文治5年(1189)4月18日条の記事である。
当時15歳の時房は、源頼朝の命により三浦義連(よしつら)を加冠役(元服において冠をかぶせる役)として元服し、義連の「連」の一字を拝領し、五郎時連(ときつら)と称した。
しかし、ドラマにも描かれたように、頼朝の死後、28歳のときに、時房と改名することになる。
きっかけを作ったのは、矢柴俊博が演じた平知康である。
建仁2年(1202)6月25日、金子大地演じる源頼家が催した鞠会のあとの酒宴の席で、平知康は酔いにまかせて、「北条五郎時連は、姿形も振る舞いも群を抜いて優れているといえるが、実名ははなはだ下劣である。頼家から改名するように命じるべきだ」と言った。
時房は「連の字を改める」と応じたという。
また、この平知康の言葉から、時房の容姿や立ち振る舞いは、抜群に秀でていたと思われる。